見直そう!日本の教育
2007年07月08日
自ら考える力
これは、私が部活動の顧問をしていた時の手記である。
「最近、学校教育について騒いでいますけど、日本の部活動は世界に誇る教育だと思いますよ」。これは、ある国で出会った日本人青年の言葉である。その青年は、野球部出身で、日本の企業から現地の大学に派遣されている会社員であった。私たちは、それぞれの部活動に対する考えを語り合った。
部活動から学ぶことができる多くのことを明確にし、今、指導者として生徒に学んでもらいたいことは何か、私の考えを述べていきたい。
部活動の目的は、生徒、部、学校、地域、時代などによって違う。今日の軟式野球部部員生徒の目的は何か。やはり、全国大会出場し、優勝することである。しかし、全国大会優勝は一つの過程に過ぎず、最終目標は自己の成長であると私は考えている。その目標実現のため、今年度は、生徒たちに自分で考える力を身につけられるよう指導してきた。
試合中に監督がサインを出さない。生徒たちで相談して、戦略を決める。試合中の短い時間で、だ。これは、日常の練習で戦い方を模索し、意思統一ができていなければ難しいことである。関東大会では、この生徒たちの生き生きとした野球が高く評価された。
生徒たちは、強制的に入部させられたわけでも、練習させられているわけでもない。すべて、自分の意思で野球しているという気持ちがある。監督が、勝つ方法を教え込むこともしない。自分たちで研究し、試行錯誤し、成功したり、失敗したり。成功しても忘れてしまったり。2年と少しの限られた部活動において、効率が悪いように見える。しかし、私は、それでいいと思う。実際に、自分の考えを試す機会というのは少ない。現代社会では、失敗してしまうと大変だという雰囲気がある。そういう意味で、生徒たちには、失敗を恐れず、自分たちの野球を創っていってもらいたい。
顧問は、このような生徒の活動を支え、考える力を身につけることの手助けをしていく。そのために、ミーティングの回数を増やし、部活ノート等を活用して、各自の考えを明確にしていくよう努めたい。そして、何より顧問である私自身も部活動を通して、自己成長の機会を与えられていることに感謝して止まない。
仲間、先輩・後輩、顧問、好敵手、保護者を筆頭に応援してくださる人たちとの人間関係。苦しみ、悲しみ、怒り、そして喜び。競技を通しての実体験。これらは、いくら本を読んでも、話を聞いても得られないものである。
2007年06月16日
大切にされた子ども
日本公文教育研究会HP掲載の浮世絵
江戸時代末期の開国後、来日した外国人は、日本が「子どもの楽園」であると一様に驚いている。たとえば、モースは『日本その日その日』で「世界中で日本ほど子どもが親切に取り扱われ、子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福らしい…そして、祭礼などでは、いかなる時にでも大人が子どもと一緒になって遊ぶ」と記している。
江戸時代は、家族形態も直系の親子を単位とする小家族が一般的となり、それまで以上に、子どもは家族の愛情のなかで育てられるようになっていた。それまで公家や武家の儀礼であった子どもの成長を祝う行事が、民間にも普及した。子どもを大切に育てるための育児書や教育書も数多く刊行された。
また、町人の活発な経済活動の展開で、職人や商人に読み書きや計算の素養が必要とされるようになった。その結果、庶民教育への関心が高まり、庶民教育の場として寺子屋が普及した。多くの子どもたちは、6〜10歳を過ぎる頃までの間に「読み書きそろばん」の初等教育を身につけ、奉公や修行に出た。幕末期の識字率が非常に高かったのは、寺子屋教育の役割に負うところが大きかったといわれている。
遊びの世界でも、江戸中期から玩具が種類・数ともに増え、子ども向けの本も出版されて、子どもの世界を豊かに彩ったのである。




