教育学入門

2013年10月15日

ハーグ市教育センター(教育サポート機関)-オランダ報告12

教育サポート機関は、1970年頃、画一から個別への転換が行われた時期に、主として現職教員に対して、教材、教育法、学級経営・学校経営などについてアドバイスをするために作られました。
もともと公営施設だったが、
2000年ごろに民営化。ただし、資金は、国と地方自治体が支給する教員研修費から支払われています。 全国に多い時で60カ所ほどありました。ハーグ市教育センター(HCO)は、教育文化科学省のあるハーグ市の施設として、ロッテルダムにあるCEOと並び有名な施設です。

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日本のように学習指導要領が無いので、オランダの教育方法の自由を支える施設です。シンポール式数学の教材など、先進的な教育プログラムにも出会うことができました。

IT
化が進み、教科書の展示という役割を終え、教育プログラムの紹介・相談と研修提供としての役割に変化してきていると感じました。

日本の各自治体では、教育センターや教育研究所があります。不登校の児童生徒の相談事業などを実施しているとるところが多いようです。このハーグ市教育センターのように、教職員や学校へのアドバイスをする機関が必要です。
教育サポート機関ができるまで、私は教育コンサルタントとして、教材など学校の教職員へのアドバイス・研修や地域とのコーディネートなどを続けていきます。
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2013年06月28日

経験による学び‐プロジェクト・メソッド

フューチャーセンターやまちなかカレッジの活動は、私にとって教育活動です。
プロジェクトを通した学びを提供していくよう設計しています。

プロジェクト・メソッドというのは、20世紀を代表する教育哲学者、ジョン・デューイの高弟のキルパトリックという人が、デューイの問題解決学習の方法を受け継いで体系化した学習メソッドです。

大学院で共に教育学を研究した苫野一徳氏のブログに詳しく紹介されています。
http://ittokutomano.blogspot.jp/2013/05/blog-post_9.html
ちなみに、苫野氏のブログは、教育学・哲学を学ぶ人にとって、素晴らしいナビゲーターです。
他の記事もチェックしてみてください。


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2013年03月18日

オランダの保育園を視察-オランダ報告10

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【落ち着き、静かに話を聴く子どもたち】

 オランダのハーグ市にある保育園を訪問した。日本でも実践されていることもあるとは思うが、見たことを紹介したい。私が見学したのは、ハーグ市内に約70か所の保育園を経営する民間の保育園であった。そこには、0歳から4歳までの子どもが預けられていた。※オランダでは、4歳の誕生日を迎え、5歳になるまでの間に、小学校に入学する。

 私が、驚いたことは、子どもたちが、机にきれいに並んで、落ち着いて座っていることだった。そして、保育士の顔をじっと見つめ、話を聴いている。





















【保育の工夫】

 説明で、「自立心を育てる」という言葉を、よく耳にする。この自立心が、こどもたちの落ち着きの秘訣のようだ。保育の中の至る所に、この自立心を育てる工夫が盛り込まれている。

たとえば、教室の中に、一人きりになれるスペースが準備されている。みんなと楽しく遊ぶだけでなく、一人になって、考えたり、作業したりする時間が大切にされている。

他に気づいたことは、遊ぶ内容と遊ぶスペースを自分で決めること。遊ぶ時間になると、教室の図の書いたボードがあり、子どもたちは、自分がどこで、何をするかを表明していく。

3つ目は、子どもたちに、保育士が、一日の予定を示していること。その都度、指示を出すのではなく、図で示すなどして、子どもが自分で動けるような環境を整えている。毎日のことなので、子どもたちは、すぐに慣れてくるそうだ。保育士は、「ストラクチャー(構造)を与える」と説明していた。こういった毎日の細かい積み重ねが、表れてくるのだろう。

そして、何より、保育士が落ち着いている。大きな声で注意していないのはもちろん、元気に張り切った姿も見せない。

うつぶせか、仰向けか。その他、遊びは、子どもに任せている。ただ、「すべて自由がいい」と言っているわけではないと強調していた。大きくなればなるほど、他人の気持ちを尊重できるように指導しているとのこと。社会見学に出かけ、マナーや配慮も学ばせている。

















【保育を自己評価し、公開】

 移民の多い地域などもあり、地域ごとに教育プログラムは違う。ただ、この保育園は、3つの点を意識して保育を実践している。ヾ超と子ども-設備や建築。∧欅藥里隼劼匹-保育士が子どもの発達を刺激しているか。子どもと子ども-安定した子どもグループが形成されているか。
 この3つについて、アムステルダム大学などの発達心理学の教授たちと指標を作り、評価している。内容は、保育園の実践として、発信している。これは、園の説明責任であるとのこと。また、大学などの教育機関も、研究結果の信頼につながると、保育現場へ積極的に協力している。

 保育園と親は、日々の送り迎えのほかに、午後八時から開催される懇談会や保育園運営評議会で、話し合う。親との連絡帳は、今日では、インターネットでログインし、写真を使って報告されている。


【保育を取り巻く社会環境】

 保育園では、机やおむつを替える台の高さなど、保育士の腰が痛くならないよう配慮がなされている。オランダでは、ワークシェアが採用されており、保育士は、毎日、勤務しない。産休する保育士もいる。園児も、毎日、通うわけではない。

 待機児童数は、いない。人口40万人ほどの地域に、保育園・託児所が約400あるという。保育園に関しては、「02歳児9人に対し保育士2人」といった規則が決まっている。託児所の定義が違うと言っても、日本とは量の違いがある。

 保育園の待機児童がいない別の理由に、経済不況があげられた。親が失業してしまっている。保育料を払えなくなってきている。保育料は、国から補助が出るが、親の所得によって変動するそうだ。国の財政悪化で、子育てにしわ寄せがきている。

 それでも、子どもは社会で育てなればならないという国の姿勢がはっきりしている。核家族化し、共働き化し、移民も多く、複雑な社会である。この多様な社会を支えるためにも、社会ぐるみで子育てが行われている。

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2012年05月21日

イエナプランとは‐オランダ報告2

イエナプランとは、異年齢・異学年で学級を編成。上級生に教わり、下級生に教える。
車座で対話を通して、協働して学ぶ。同時に、静かに学ぶ時間、自立学習を重視する。
知識面では、学年ごとの小集団に、先生が説明。理解した児童・生徒から、自立学習に移る。友達に教わったり、PCや図書で調べたり、先生に質問して、身につけていく。

ドイツのピーター・ペーターゼンによって、1923年ころから研究と教育実践が始まった。
第二次大戦やペーターゼンの死によって、ドイツでは停滞。1950年代にオランダに入り、発展を遂げる。
70年代のオランダの学校教育改革、特に画一教育から個別教育への変換に、甚大な影響をもたらした。

Dr. Schaepmanschool (ドクター・スハエプマン小学校)
http://www.schaepmanschool.nl/
イエナプランの優良校の賞を取った学校です。
この学校は、4月13日に日本テレビで放映されるアナザースカイで、尾木直樹さんとともに訪れ紹介されました。
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中央 Dr. Schaepmanschool (ドクター・スハエプマン小学校)の校長先生
左 長井悠ハバタク株式会社取締役
右 山下洋輔

イエナプラン教育の20の原則
http://study.japanjenaplan.org/?cid=2 より引用

1.
どんな人も、世界にたった一人しかいない人です。つまり、どの子どももどの大人も一人一人がほかの人や物によっては取り換えることのできない、かけがいのない価値を持っています。

2.
どの人も自分らしく成長していく権利を持っています。自分らしく成長する、というのは、次のようなことを前提にしています。つまり、誰からも影響を受けずに独立していること、自分自身で自分の頭を使ってものごとについて判断する気持ちを持てること、創造的な態度、人と人との関係について正しいものを求めようとする姿勢です。自分らしく成長して行く権利は、人種や国籍、性別、(同性愛であるとか異性愛であるなどの)その人が持っている性的な傾向、生れついた社会的な背景、宗教や信条、または、何らかの障害を持っているかどうかなどによって絶対に左右されるものであってはなりません。

3.
どの人も自分らしく成長するためには、次のようなものと、その人だけにしかない特別の関係を持っています。つまり、ほかの人々との関係、自然や文化について実際に感じたり触れたりすることのできるものとの関係、また、感じたり触れたりすることはできないけれども現実であると認めるものとの関係です。

4.
どの人も、いつも、その人だけに独特のひとまとまりの人格を持った人間として受け入れられ、できる限りそれに応じて待遇され、話しかけられなければなりません。

5.
どの人も文化の担い手として、また、文化の改革者として受け入れられ、できる限りそれに応じて待遇され、話しかけられなければなりません。

6.
わたしたちはみな、それぞれの人がもっている、かけがえのない価値を尊重しあう社会を作っていかなくてはなりません。

7.
わたしたちはみな、それぞれの人の固有の性質(アイデンティティ)を伸ばすための場や、そのための刺激が与えられるような社会をつくっていかなくてはなりません。

8.
わたしたちはみな、公正と平和と建設性を高めるという立場から、人と人との間の違いやそれぞれの人が成長したり変化していくことを、受け入れる社会をつくっていかなくてはなりません。

9.
わたしたちはみな、地球と世界とを大事にし、また、注意深く守っていく社会を作っていかなくてはなりません。

10.
わたしたちはみな、自然の恵みや文化の恵みとを、未来に生きる人たちのために、責任を持って使うような社会を作っていかなくてはなりません。

11.
学びの場(学校)とは、そこにかかわっている人たちすべてにとって、独立した、しかも共同して作る組織です。学びの場(学校)は、社会からの影響も受けますが、それと同時に、社会に対しても影響を与えるものです。

12.
学びの場(学校)で働く大人たちは、1から10までの原則を子どもたちの学びの出発点として仕事をします。

13.学びの場〈学校)で教えられる教育の内容は、子どもたちが実際に生きている暮らしの世界と、(知識や感情を通じて得られる)経験の世界とから、そしてまた、<人々>と<社会>の発展にとって大切な手段であると考えられる、私たちの社会が持っている大切な文化の恵みの中から引き出されます。

14.学びの場(学校)では、教育活動は、教育学的によく考えられた道具を用いて、教育学的によく考えられた環境を用意したうえで行います。

15.学びの場(学校)では、教育活動は、会話・遊び・仕事(学習)・催しという4つの基本的な活動が、交互にリズミカルにあらわれるという形で行います。

16.学びの場(学校)では、子どもたちがお互いに学びあったり助け合ったりすることができるように、年齢や発達の程度の違いのある子どもたちを慎重に検討して組み合わせたグループを作ります。

17.学びの場(学校)では、子どもが一人でやれる遊びや学習と、グループリーダー(担任教員)が指示したり指導したりする学習とがお互いに補いあうように交互に行われます。グループリーダー(担任教員)が指示したり指導したりする学習は、特に、レベルの向上を目的としています。一人でやる学習でも、グループリーダー(担任教員)から指示や指導を受けて行う学習でも、何よりも、子ども自身の学びへの意欲が重要な役割を果たします。

18.学びの場(学校)では、学習の基本である、経験すること、発見すること、探究することなどとともに、ワールドオリエンテーションという活動が中心的な位置を占めます。

19.学びの場(学校)では、子どもの行動や成績について評価をする時には、できるだけ、それぞれの子どもの成長の過程がどうであるかという観点から、また、それぞれの子ども自身と話し合いをするという形で行われます。

20.学びの場(学校)では、何かを変えたりよりよいものにしたりする、というのは、常日頃からいつでも続けて行わなければならないことです。そのためには、実際にやってみるということと、それについてよく考えてみることとを、いつも交互に繰り返すという態度を持っていなくてはなりません。

(リヒテルズ直子訳)




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2010年06月12日

インクルーシブ教育の成果を取り入れた社会人の学習支援

企業研修や勉強会企画など、社会人の学習を支援する仕事もしています。

そのなかで、資格講習の企画や授業も行っています。
すでに合格に必要な専門的な知識を持っている方がいる一方で、
受講される方には、高校卒業して以来〜十年と
机に座って学習したことがない(しかも学生時も学習していない)、
そんな方も見えられます。

年齢差、職業の違いだけでなく、大きな学力差がある中での講義。
時間、空間、教員数の制限があるので、同じ教室です。
「全員合格」を達成するためには、私は勉強が苦手な方にわかる講義をします。
レベルを下げるわけではありません。
わかりやすい言葉を用い、シンプルに本質を伝えるよう心がけます。
つまり、苦手な方にわかる講義は、できる方の役にも立つという考えです。

この考えの基本は、インクルーシブ(inclusive)教育に由来します。
インクルーシブ教育とは、あらゆる人のための教育です。
年齢、性別、能力、人種だけではなく、異なる文化背景、言語体系、経済格差もあるけれど、おちこぼれを出さない教育です。
同じ学校や学級に通い、必要に応じた教育支援を受けられます。

すべての人と言っても、とりわけ、障害を持つ方など、もっとも傷つきやすく、もっとも必要としている人びとが、ちゃんと教育が受けられるような環境を整える必要があるのです。

以前、大学院のゼミ仲間の特別支援教育の実践報告を紹介しました。
http://goodman.livedoor.biz/archives/51338478.html

特別支援教育というけれども、
「生徒一人ひとりが特別なんだ」
という言葉に目を開かされたのを思い出します。

※1994年にサラマンカ宣言
「特別なニーズ教育における原則、政策、実践に関するサラマンカ声明ならびに行動要綱」)にて、個人主義を尊重し、学習を支援し、個別のニーズに対応する施設に向けた活動の必要性の認識を表明されています。



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2010年01月11日

イリイチのラーニングウェブ(学習網)

先日、藤井千春先生(早稲田大学教育学部教授)に、私の活動の報告を致しました。
その中で、柏まちなかカレッジの活動へのご助言も頂きました。

柏まちなかカレッジの活動は、イリイチラーニングウェブの実践であると評してくださいました。
哲学者イヴァン・イリイチ(1926-2002)は、『脱学校の社会Deschooling Society (1971)を著したことで有名です。

イリイチは、脱学校の社会のために、ラーニングウェブと言う提案をしています。
これは、学びたい者、教えたい者、自分の考えを述べたい者には、誰でもその自由が保障される教育の仕組みです。

私たちは、脱学校社会を目指しているわけではありませんが、学びあうコミュニティが身近に存在できればいいなぁと考えています。




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2009年03月27日

不登校生徒への寄り添い方2

不登校生徒への寄り添い方2

 

現在の状態についての理解を深める

(昼夜逆転、ゲーム、アイドル、鉄道、インターネット、など)

 

・そうせざるをえない状態であること。

・何かにのめりこんでいないと不安になること。

・夜は、不登校生徒にとって、1番安心できる時間帯であること。

・家庭内暴力にも理由があること。

 

⇒子どもの行動や状態を「意味」あるものとしてとらえれば、

親も安心することができます。

そして、それにともなって子どもも安定してきます。

 

上記は、三アイの会主催「不登校生徒を持つ親への相談会」(2009122日)

での内容をまとめまたものです。



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2009年02月17日

不登校生徒への支援1−問題の捉え方

不登校生徒への支援1−問題の捉え方

 

不登校に対する見方を変えることが大切。

「困ったこと・悪いこと」というネガティブな見方から、

本人にとって大人になるためには「必要なこと・大事なこと」というポジティブな見方へ。

 

・本人を否定しているわけではない。

・病気(精神病)ではない。

・「なまけ」でもない。

・「いじめなど具体的な障害があって登校できない」わけではない場合も多い。

・学校に対して、特別な「すくみ反応」を起こしている神経的な問題である可能性が高い。

・成長・発達上の問題である。

・心理的な脱皮の作業状態である。

・何もしていないようであるが、実は重要なことをしている。

・本人にとっては必要な時期である。

 

上記は、三アイの会主催「不登校生徒を持つ親への相談会」(2009122日)

での内容をまとめまたものです。

 



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2009年01月20日

教育において対話が必要−ボルノーの教育哲学

教育において対話が必要−ボルノーの教育哲学

 

大学院のゼミに参加し、素晴らしいテーマの発表に出会いました。

それは、ボルノーの教育哲学における対話についての研究です。

 

ボルノーは、『言語と教育』や『人間的に見た教育学』を著した教育哲学者です。

 

ボルノーは、世界を理解し、人間性を成長させるために

「言葉」の持つ重要性を指摘しました。

 

このような「言葉」が機能するのは、対話においてであり、

したがって、教育において対話が必要だと主張したのです。

 

ゼミでは、ボルノーの認識論についての議論が交わされ、

ボルノーの思想が整理されていきました。



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2008年08月28日

知識を伝える‐「ブラックボード-背負う人-」に教育の原点を読む。

知識を伝える‐「ブラックボード-背負う人-」に教育の原点を読む。

 

2000年カンヌ映画祭審査員賞受賞のイラン映画「ブラックボード-背負う人-」。

監督は、サミラ・マフマルバフという当時20歳だった女性監督です。

爆撃により学校を失った教師が、黒板を背負って村々を訪れ、子供たちに読み書きを教えるために生徒を探します。

戦火の国境の山道で繰り広げられる心の交流が描かれています。

 

私に教育の原点を教えてくれた映画です。

現在、学校に所属しない教員として活動している私には学ぶべきことが多い映画です。

 

戦争の傷と貧困に苦しむイラン-イラク国境の山岳地帯。

学校などない地域です。そこで教師は、黒板を背負って、子どもたちに知識を伝達しようとしています。この教師たちもインテリというわけではありません。勉強したのは2年間にすぎなかったり、老人に手紙を読んでくれと頼まれても読めなかったり。それでも、自分たちの持っている読み書き計算といった知識を子どもに伝えようと必死なのです。教え子の中から、たとえば医者となり、少しでも世の中の不幸を取り除くきっかけになればと願っているのです。

 

しかし、国境で密輸の運び屋などをしている子どもにとって、勉強する余裕なんてありません。読み書き計算の知識に意味を見出すこともできません。自分の生活、つまるところ自分の命のことで精一杯なのです。そういった子どもたちに、学問の大切さを主張していく姿は、今日の日本の教員の心も打ちます。状況は違いますが、家庭の事情により、勉強どころではない子どもたちのために、教員としてどうしたらいいのか。この映画を見ることで、あらためて教育の原点に立ち返ることができます。

「自分の名前を書きたい」と言い、自分の食事を教師に与えた少年。食料と交換し、知りたいという欲求を満たした少年の行為が印象的でした。

 

子どもを必死に守ろうとする母。

商売道具の黒板を壊して脚を骨折した少年のためにギブスを作る教師。

映画のいたるところに、考えさせられるものがありました。

 

監督がこの映画を語るときに繰り返す言葉がある。

「スタンリー・キューブリックは現代の不幸は知識がありすぎることだと言っています。でも世界中に知識を学ぶことができなくて苦しんでいる人もたくさんいる。」

(「知識不在の中で-ブラックボードが示すもの」水原文人より)

 

「ブラックボード-背負う人」DVD

 

「ブラックボード-背負う人」書籍



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2008年04月13日

心と言葉を結び付けるコミュニケーションのコツ

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早稲田大学教育・総合科学学術院助教授 本田 恵子先生の文書を紹介します。

早稲田大学 学生部 新鐘編集委員会編 
『新鐘72 早稲田に聞け! 「コミュニケーション」』
より引用
http://www.waseda.jp/student/shinsho/html/72/7218.html

心と言葉を結び付けるコミュニケーションのコツ
        ―教育臨床論―

伝えたいこと」を見失い、伝える言葉と術を持てなくなった現代の子どもたち。
その心のありかを探り当て、コミュニケーションの力を引き出す秘訣を紹介する。

まず「愛着心」を育てること

 教育臨床論とは、「いじめ」、「学級崩壊」、「不登校」、「虐待」、「自殺」「教員の心身症」などが生じる要因を臨床的に見立てた上で、対応のための教育的なかかわりを立案し、実践する学問である。例えば、先の問題をコミュニケーションという要因で見立てる場合、教員、保護者、生徒間のコミュニケーションを阻害する要因が何かを探るために、子どもの感情・言語・ソーシャルスキルの発達に何が生じているかを理論的に分析していく。その上で、気持ちを伝えるには、自分や他者にどのような力が必要なのかを見立て、未発達な要素を育てる教育を行っていくのである。

 コミュニケーションが滞る場合、以下の要因を見立てていく。
(1)何を伝えたいのか理解できるか、
(2)伝える手段があるか(言語・非言語の表現のための能力・技術)、
(3)相手の状況が理解できるか(向社会的判断力)、
(4)相互に会話が続けられるか(コミュニケーション能力、ソーシャルスキル)、
(5)関係の修復ができるか(対立解消)。

 このうち、何を伝えたいかを理解するためには、自分の内外のものに対する「愛着心」が育っている必要性があり、またそれを説明する「ことば」が必要になる。コミュニケーションを育てる基本である「愛着心」の発達過程を説明したのが図である。

五感によるすべての情報を言葉に置き換えてみる

「自分が伝えたいこと」を理解し、分かりやすく「伝える」ためには、語彙力と構文力が必要になる。お互い自分にしか分からない言葉を使っていたのでは、伝えたいメッセージが伝わらないからである。

 中学生とカウンセリングをしていると「びみょー」という答えが返ることが増えた。「何がどんなふうにびみょーなのか、説明してくれる?」と言うと、口ごもってしまう。びみょーに何かは感じているし、びみょーに見ているけれども、説明できるほど対象とかかわっていない、あるいはかかわろうとしないので、言葉にならないのである。

 このタイプは、いじめの傍観者や親に不満を持っていても感じないようにしている子に多い。一方、キレる子と対応していると、「うぜーんだよ」、「消えろ」、「死ね」、というようなはっきりとしたひと言で片づけられることが多い。苛立っている感情は分かっても、感情そのものが分化していないか、対応のパターンが限られているため、感情や行動を表す語彙が少ないのである。

 両者とも対話を続けるのは容易ではない。説明しようとしても言葉がないので、落ち込んだり怒り出したりしてしまうためである。したがって、絵画、遊び、運動、作業など言葉以外の方法でコミュニケーションを取りながら、その時に彼らが示す表情や行動に一つひとつ「なまえ」を付けていく。

 このように、語彙力を上げるには、日常生活の中で目(視覚)、耳(聴覚)、手、舌などの感触(触覚)から入手した情報を「ことば」にしていく練習を重ねるとよい。例えば、見たもの(自然の色、形、しぐさ、行動の一連の流れなど)や聞いたもの(自然の音、声の抑揚、音楽、静けさなど)、感じたもの(食べ物の微妙な味わいの違い、感情など)の一つひとつに言葉を付けていくのである。また、絵を言葉で説明したり、抽象的なことを言葉で説明する力も必要になる。

 ある学生が写メールに京都のお寺の写真を貼り付け「^o^」という顔文字とともに送ってきた。これでこと足りてしまう社会であるからこそ、あえて、心や考えを言葉にする練習をしていないと、言葉の使い方を忘れてしまうのではないだろうか。

会話を続けるためのコツ

 自分のことが伝えられる準備ができたら、次に、基本的な日常会話(おはよう、こんにちは、ありがとうなど)や、会話を続けるための構文、つなぎ言葉なども習得する。例えば、「おはよう。昨日の○ドラマ、面白かったね」「おはよう。そうだね。でさ、みっちゃんは、あれどうなると思う?」といった具合である。

 ここで「うん。そうだね」で終わってしまうと、会話は切れる。不登校やキレる子と面接している先生たちが陥るパターンが、質問攻めである。一つの話題で会話を深め、続ける方法が分からないので、相手の返事が切れたら、次々と話題を変えてしまうからである。結果、生徒は、先生と話すと疲れるから面接を拒否するようになる。

 どんな話題であれ、相手の話に興味を持ち、会話が続けやすくなる投げかけを返すスキルが必要なのである。「へえ。面白いね」「例えば?」「それって、どんな感じなの?」「もう少し、○の部分を話してくれる?」などである。

 実は、ここには論理的な思考が働いている。したがって、会話を続けるには、話の変数を決めたり、質や量を調整したり、比較したり、原因・結果を考えたり、例を当てはめたり、という論理思考も同時に育てなければならない。

 コミュニケーションを進めるための基本の流れは、自分の感情や考えを把握する、相手の伝えたいことに共感する、具体的な対応策を一緒に考える、である。さまざまなことについての会話を楽しめるようになれることを願っている。



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教育とは、子どもの物語作りをサポートすること

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「未来を担う子どもの力は、どう育むべき?」

私が、大学院にて指導を受けている藤井千春先生の文書を紹介します。
藤井先生は、子どもや教育現場をしっかりと観察しています。
その眼差しは、厳しさとともに温かさがあふれています。

早稲田大学 学生部 新鐘編集委員会編 
『新鐘74 早稲田に聞け! 「つくる」』より引用
http://www.waseda.jp/student/shinsho/html/74/7424.html

「教育」の現場が揺れている。
いじめや学級崩壊、そして
「ゆとり教育の失敗」による
基礎学力の低下。
さまざまな問題が取りざたされる中、
未来を担う子どもの力を育むために、
今、どんなことが
必要とされているのか。

 

課題に対してトータルな視点で考えよう

 「教育現場の崩壊」や「ゆとり教育の失敗」が叫ばれるようになって久しい。最近では、漢字が読めない、計算ができないなどの「基礎学力」が身についていない子どもが増えているともいわれる。

 こうした状況に対して、小学校での総合学習などについての著書もある藤井千春先生は、「例えば、学力が低下しているから授業時間を増やせといったような、対症療法的なやり方はあまり意味がありません」と指摘する。

 「教育というのは、ある課題について個別に対策を立てれば、狙いどおりにうまくいくというものではない。学力を伸ばそうとするなら、そのためにはいったいどんな学校生活が必要なのかを、全体から考えていく必要があるんです。今の議論にはそうした子どもの生活をトータルに把握する視点が欠けている気がしますね」

 例えば、いじめが横行しているような学級では、子どもは授業の中で自分の意見を言うことにも消極的になってしまうことが多い。逆に、友達同士で長所を認め合えるようないい関係を築けている子どもたちは、教科学習の中でも互いのいいところを見習い、学び合って成長していくことができるだろう。

 「学力や生活力など、子どもたちの能力の一つだけを伸ばすといった考え方はあり得ません。あくまでも個々の子どもの成長の全体像を見ながら、子どもたちの『価値ある自分になりたい』という意欲、そして自信を育てていく。そうでなければ、どんな取り組みも効果はないと思います」

 

子ども自身が主役となる「物語」を生み出す

そのためにまず重要なのは、「子どもたちが成功体験を積み重ねていく」ことだと藤井先生は強調する。

 子どもは、さまざまな課題を成し遂げ、乗り越えて、それを周囲に評価されることで成長してゆく。重要なのは、そうした体験をどれだけさせてやれるか。それも、ただの「成功」ではなく、自分のアイデアがみんなの役に立ったなど、「仲間に貢献できた」ことを仲間から認められるという体験が、子どもの成長に大きな役割を果たしてゆくのだという。

 例えば、授業の中で子どもが間違ったことを答えたとしても、教師はそれを間違いと切り捨てるのではなく、「みんなはどう思う? 一緒に考えてみよう」と、周りの子に投げかけてみればいい。答えを教科書の中から抜き出すのではなく、みんなで考えながら発見していく。そのプロセスに自分も参加し、役立つことができたという意識が、子どもたちの学ぶ意欲を育ててゆくのだ。

 「教師の仕事は、そうした体験を重ねさせる中で、子どもの『ストーリーづくり』を支えていくことです。子ども自身が主役となって、毎日の生活の中で、たくさんの人と出会い、助け合いながら、さまざまな課題を解決してよりよい自分へと成長していく、今日から明日へとつながる物語。それを子ども自身が実感できるよう、それぞれの力や興味に合った『ステップ』を設定する。そしてそれを乗り越えさせるために、ときには背中を押したり、ヒントを与えたりしてやるのが教師の役割なのです」

 家庭における教育でも、そうした本質は変わらない。幼いころから「やりとげる」楽しさを知り、評価されてきた子どもは、学校での勉強にも自ら楽しさを見つけ、取り組んでゆくことができる。あるアンケート結果によれば、「嫌いな教科でも自分で勉強する」と答えた子どもは、幼いころに家族と一緒に料理をしたり、誕生日を家で祝ったりという「手づくりの楽しみ」を数多く体験している割合が高かったという。子どもたちが、それぞれに自身の「物語」を紡ぎながら成長してゆくための「土台」づくり。それこそが、家庭での教育に求められているものなのかもしれない。

子ども自身の力をしっかりと「鍛える」教育

 しかし、藤井先生が主張するこうした考え方は、必ずしも現在の教育現場において主流になっているとはいえない。「子どもを甘やかすだけで、何もしないなんてもってのほか」といった批判を受けることもある。これに対して藤井先生は、「私が言っているのは、子どもを甘やかすということではない。むしろ、しっかりと鍛える教育だと思っています」と反論する。

 子どもの足腰をしっかりと鍛えて、ときにはここまで跳べという厳しいハードルを示しもする。教師は手助けはするけれど、歩くのはあくまで子ども自身だ。それだけに、もちろん教師の側の姿勢や能力も、より厳しく問われてくることになる。今までの学校現場でありがちだったような、「決められたことを決められたとおりに教える」というやり方ではなく、いかに子どもの興味や意欲を引き出してゆくかを自ら考え、一人ひとりの子どもの「物語」に辛抱強く伴走していく姿勢が求められるのだ。そこには、こうしたやり方を批判する人が言うような「理想主義」といった甘さは微塵もない。

 単なる放任ではなく、びしびしと厳しく教え込むといったやり方でもない、第三の「教育」の在り方。未来を担う子どもたちの力を豊かに育んでいくための、大きなヒントがここにあるのではないだろうか。




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