教育学入門
2008年04月13日
心と言葉を結び付けるコミュニケーションのコツ
早稲田大学教育・総合科学学術院助教授 本田 恵子先生の文書を紹介します。
早稲田大学 学生部 新鐘編集委員会編
『新鐘72 早稲田に聞け! 「コミュニケーション」』
より引用
http://www.waseda.jp/student/shinsho/html/72/7218.html
心と言葉を結び付けるコミュニケーションのコツ
―教育臨床論―
伝えたいこと」を見失い、伝える言葉と術を持てなくなった現代の子どもたち。
その心のありかを探り当て、コミュニケーションの力を引き出す秘訣を紹介する。
まず「愛着心」を育てること
教育臨床論とは、「いじめ」、「学級崩壊」、「不登校」、「虐待」、「自殺」「教員の心身症」などが生じる要因を臨床的に見立てた上で、対応のための教育的なかかわりを立案し、実践する学問である。例えば、先の問題をコミュニケーションという要因で見立てる場合、教員、保護者、生徒間のコミュニケーションを阻害する要因が何かを探るために、子どもの感情・言語・ソーシャルスキルの発達に何が生じているかを理論的に分析していく。その上で、気持ちを伝えるには、自分や他者にどのような力が必要なのかを見立て、未発達な要素を育てる教育を行っていくのである。
コミュニケーションが滞る場合、以下の要因を見立てていく。
(1)何を伝えたいのか理解できるか、
(2)伝える手段があるか(言語・非言語の表現のための能力・技術)、
(3)相手の状況が理解できるか(向社会的判断力)、
(4)相互に会話が続けられるか(コミュニケーション能力、ソーシャルスキル)、
(5)関係の修復ができるか(対立解消)。
このうち、何を伝えたいかを理解するためには、自分の内外のものに対する「愛着心」が育っている必要性があり、またそれを説明する「ことば」が必要になる。コミュニケーションを育てる基本である「愛着心」の発達過程を説明したのが図である。
五感によるすべての情報を言葉に置き換えてみる
「自分が伝えたいこと」を理解し、分かりやすく「伝える」ためには、語彙力と構文力が必要になる。お互い自分にしか分からない言葉を使っていたのでは、伝えたいメッセージが伝わらないからである。
中学生とカウンセリングをしていると「びみょー」という答えが返ることが増えた。「何がどんなふうにびみょーなのか、説明してくれる?」と言うと、口ごもってしまう。びみょーに何かは感じているし、びみょーに見ているけれども、説明できるほど対象とかかわっていない、あるいはかかわろうとしないので、言葉にならないのである。
このタイプは、いじめの傍観者や親に不満を持っていても感じないようにしている子に多い。一方、キレる子と対応していると、「うぜーんだよ」、「消えろ」、「死ね」、というようなはっきりとしたひと言で片づけられることが多い。苛立っている感情は分かっても、感情そのものが分化していないか、対応のパターンが限られているため、感情や行動を表す語彙が少ないのである。
両者とも対話を続けるのは容易ではない。説明しようとしても言葉がないので、落ち込んだり怒り出したりしてしまうためである。したがって、絵画、遊び、運動、作業など言葉以外の方法でコミュニケーションを取りながら、その時に彼らが示す表情や行動に一つひとつ「なまえ」を付けていく。
このように、語彙力を上げるには、日常生活の中で目(視覚)、耳(聴覚)、手、舌などの感触(触覚)から入手した情報を「ことば」にしていく練習を重ねるとよい。例えば、見たもの(自然の色、形、しぐさ、行動の一連の流れなど)や聞いたもの(自然の音、声の抑揚、音楽、静けさなど)、感じたもの(食べ物の微妙な味わいの違い、感情など)の一つひとつに言葉を付けていくのである。また、絵を言葉で説明したり、抽象的なことを言葉で説明する力も必要になる。
ある学生が写メールに京都のお寺の写真を貼り付け「^o^」という顔文字とともに送ってきた。これでこと足りてしまう社会であるからこそ、あえて、心や考えを言葉にする練習をしていないと、言葉の使い方を忘れてしまうのではないだろうか。
会話を続けるためのコツ
自分のことが伝えられる準備ができたら、次に、基本的な日常会話(おはよう、こんにちは、ありがとうなど)や、会話を続けるための構文、つなぎ言葉なども習得する。例えば、「おはよう。昨日の○ドラマ、面白かったね」「おはよう。そうだね。でさ、みっちゃんは、あれどうなると思う?」といった具合である。
ここで「うん。そうだね」で終わってしまうと、会話は切れる。不登校やキレる子と面接している先生たちが陥るパターンが、質問攻めである。一つの話題で会話を深め、続ける方法が分からないので、相手の返事が切れたら、次々と話題を変えてしまうからである。結果、生徒は、先生と話すと疲れるから面接を拒否するようになる。
どんな話題であれ、相手の話に興味を持ち、会話が続けやすくなる投げかけを返すスキルが必要なのである。「へえ。面白いね」「例えば?」「それって、どんな感じなの?」「もう少し、○の部分を話してくれる?」などである。
実は、ここには論理的な思考が働いている。したがって、会話を続けるには、話の変数を決めたり、質や量を調整したり、比較したり、原因・結果を考えたり、例を当てはめたり、という論理思考も同時に育てなければならない。
コミュニケーションを進めるための基本の流れは、自分の感情や考えを把握する、相手の伝えたいことに共感する、具体的な対応策を一緒に考える、である。さまざまなことについての会話を楽しめるようになれることを願っている。
教育とは、子どもの物語作りをサポートすること
「未来を担う子どもの力は、どう育むべき?」
私が、大学院にて指導を受けている藤井千春先生の文書を紹介します。
藤井先生は、子どもや教育現場をしっかりと観察しています。
その眼差しは、厳しさとともに温かさがあふれています。
早稲田大学 学生部 新鐘編集委員会編
『新鐘74 早稲田に聞け! 「つくる」』より引用
http://www.waseda.jp/student/shinsho/html/74/7424.html
「教育」の現場が揺れている。
いじめや学級崩壊、そして
「ゆとり教育の失敗」による
基礎学力の低下。
さまざまな問題が取りざたされる中、
未来を担う子どもの力を育むために、
今、どんなことが
必要とされているのか。
課題に対してトータルな視点で考えよう
「教育現場の崩壊」や「ゆとり教育の失敗」が叫ばれるようになって久しい。最近では、漢字が読めない、計算ができないなどの「基礎学力」が身についていない子どもが増えているともいわれる。
こうした状況に対して、小学校での総合学習などについての著書もある藤井千春先生は、「例えば、学力が低下しているから授業時間を増やせといったような、対症療法的なやり方はあまり意味がありません」と指摘する。
「教育というのは、ある課題について個別に対策を立てれば、狙いどおりにうまくいくというものではない。学力を伸ばそうとするなら、そのためにはいったいどんな学校生活が必要なのかを、全体から考えていく必要があるんです。今の議論にはそうした子どもの生活をトータルに把握する視点が欠けている気がしますね」
例えば、いじめが横行しているような学級では、子どもは授業の中で自分の意見を言うことにも消極的になってしまうことが多い。逆に、友達同士で長所を認め合えるようないい関係を築けている子どもたちは、教科学習の中でも互いのいいところを見習い、学び合って成長していくことができるだろう。
「学力や生活力など、子どもたちの能力の一つだけを伸ばすといった考え方はあり得ません。あくまでも個々の子どもの成長の全体像を見ながら、子どもたちの『価値ある自分になりたい』という意欲、そして自信を育てていく。そうでなければ、どんな取り組みも効果はないと思います」
子ども自身が主役となる「物語」を生み出す
そのためにまず重要なのは、「子どもたちが成功体験を積み重ねていく」ことだと藤井先生は強調する。
子どもは、さまざまな課題を成し遂げ、乗り越えて、それを周囲に評価されることで成長してゆく。重要なのは、そうした体験をどれだけさせてやれるか。それも、ただの「成功」ではなく、自分のアイデアがみんなの役に立ったなど、「仲間に貢献できた」ことを仲間から認められるという体験が、子どもの成長に大きな役割を果たしてゆくのだという。
例えば、授業の中で子どもが間違ったことを答えたとしても、教師はそれを間違いと切り捨てるのではなく、「みんなはどう思う? 一緒に考えてみよう」と、周りの子に投げかけてみればいい。答えを教科書の中から抜き出すのではなく、みんなで考えながら発見していく。そのプロセスに自分も参加し、役立つことができたという意識が、子どもたちの学ぶ意欲を育ててゆくのだ。
「教師の仕事は、そうした体験を重ねさせる中で、子どもの『ストーリーづくり』を支えていくことです。子ども自身が主役となって、毎日の生活の中で、たくさんの人と出会い、助け合いながら、さまざまな課題を解決してよりよい自分へと成長していく、今日から明日へとつながる物語。それを子ども自身が実感できるよう、それぞれの力や興味に合った『ステップ』を設定する。そしてそれを乗り越えさせるために、ときには背中を押したり、ヒントを与えたりしてやるのが教師の役割なのです」
家庭における教育でも、そうした本質は変わらない。幼いころから「やりとげる」楽しさを知り、評価されてきた子どもは、学校での勉強にも自ら楽しさを見つけ、取り組んでゆくことができる。あるアンケート結果によれば、「嫌いな教科でも自分で勉強する」と答えた子どもは、幼いころに家族と一緒に料理をしたり、誕生日を家で祝ったりという「手づくりの楽しみ」を数多く体験している割合が高かったという。子どもたちが、それぞれに自身の「物語」を紡ぎながら成長してゆくための「土台」づくり。それこそが、家庭での教育に求められているものなのかもしれない。
子ども自身の力をしっかりと「鍛える」教育
しかし、藤井先生が主張するこうした考え方は、必ずしも現在の教育現場において主流になっているとはいえない。「子どもを甘やかすだけで、何もしないなんてもってのほか」といった批判を受けることもある。これに対して藤井先生は、「私が言っているのは、子どもを甘やかすということではない。むしろ、しっかりと鍛える教育だと思っています」と反論する。
子どもの足腰をしっかりと鍛えて、ときにはここまで跳べという厳しいハードルを示しもする。教師は手助けはするけれど、歩くのはあくまで子ども自身だ。それだけに、もちろん教師の側の姿勢や能力も、より厳しく問われてくることになる。今までの学校現場でありがちだったような、「決められたことを決められたとおりに教える」というやり方ではなく、いかに子どもの興味や意欲を引き出してゆくかを自ら考え、一人ひとりの子どもの「物語」に辛抱強く伴走していく姿勢が求められるのだ。そこには、こうしたやり方を批判する人が言うような「理想主義」といった甘さは微塵もない。
単なる放任ではなく、びしびしと厳しく教え込むといったやり方でもない、第三の「教育」の在り方。未来を担う子どもたちの力を豊かに育んでいくための、大きなヒントがここにあるのではないだろうか。

