2006年08月21日
日本銀行貨幣博物館見学
先日、日本銀行貨幣博物館を見学しました。
そこで、富本銭の展示をみながら、ふと思ったことを書きます。
1998年8月に奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で富本銭が発見され、奈良国立文化財研究所により最古の貨幣は「富本銭」である、という発表がなされました。
三十三点の「富本銭」が、「丁亥年」(687年)と書かれた木簡などとともに、発見され出土状況から7世紀後半に飛鳥池遺跡で鋳造されていた事がわかりました。
さらに『日本書紀』天武12年(683年)の「今より以後、必ず銅銭を用いよ」という記事と考古学的年代が整合する事から、最古の流通貨幣である可能性が高くなりました。
日本最初に造られた貨幣は「和同開弥」ということは常識といってよいほど一般に知られ、学校でもそのように習った経験があると思います。
しかし、この発見以前に富本銭の存在は、知られていました。江戸時代、寛政10年(1798年)の、いわば古銭カタログといった類の本に「富本七星銭」の名前で銭の図柄と共に載っていて、早くから貨幣研究者の間では知られていましたが、それは普通に使われるお金というより、「まじない銭」(専門的には厭勝銭という)であって、江戸時代からのものと考えられていたのです。
つまり、この発見によって明らかになったのは、富本銭が「わが国最初の流通貨幣である」、ということなのです。
教科書に書かれていることは、今までの研究をまとめたものです。確かに、よくできています。
しかし、その内容は「現在の」研究成果であって、絶対的なものではありません。
そんなことを、富本銭の展示から改めて考えさせられました。
以下、 貨幣博物館HPからの引用です。
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/komonjo_senpu.htm#top
銭譜に登場する富本銭
富本銭は、江戸時代には、古代の銭ではなく、絵銭・厭勝銭として考えられていました。銭譜に登場する富本銭のなかには、左右の七星が六星になっているものや、富本の『夲(とう)』の字が『本(ほん)』になっているものもあります。
貨幣博物館では2001年に開催した特別展示「古代貨幣の謎〜富本銭と和同開珎」において、冨本銭が登場する銭譜の一部を展示しました。
ここでは、銭譜に登場する富本銭をご紹介します。
『和漢古今泉貨鑑』
作成関係者 朽木竜橋 撰(福知山藩主朽木昌綱)
出版関係者 蔦屋重三郎(書肆)の異本もあり
出版年代 寛政10年版
『和漢古今宝銭図鑑』
作成関係者 不詳
出版関係者 雁金屋庄兵衛
出版年代 元禄7年版(右)、元禄9年版(左)
『新撰古銭帖 年代価付』
作成関係者 不詳
出版関係者 東都地本問屋、甘泉堂和泉屋市兵衛(書肆)
出版年代 天保13年版
『風山軒泉話』
作成関係者 今井貞吉(風山軒) 撰
成立年代 明治22年(風俗画報第5号〜第29号まで掲載)
『画銭譜』
作成関係者 馬嶋杏雨(養真亭)編、亀田一怒(考古堂)校
発行者 馬嶋瑞園
出版年代 明治32年
『古泉通盖』
作成関係者 宮部帷考(星霜堂) 撰
出版年代 安政5年