2008年08月28日
知識を伝える‐「ブラックボード-背負う人-」に教育の原点を読む。
知識を伝える‐「ブラックボード-背負う人-」に教育の原点を読む。
2000年カンヌ映画祭審査員賞受賞のイラン映画「ブラックボード-背負う人-」。
監督は、サミラ・マフマルバフという当時20歳だった女性監督です。
爆撃により学校を失った教師が、黒板を背負って村々を訪れ、子供たちに読み書きを教えるために生徒を探します。
戦火の国境の山道で繰り広げられる心の交流が描かれています。
私に教育の原点を教えてくれた映画です。
現在、学校に所属しない教員として活動している私には学ぶべきことが多い映画です。
戦争の傷と貧困に苦しむイラン-イラク国境の山岳地帯。
学校などない地域です。そこで教師は、黒板を背負って、子どもたちに知識を伝達しようとしています。この教師たちもインテリというわけではありません。勉強したのは2年間にすぎなかったり、老人に手紙を読んでくれと頼まれても読めなかったり。それでも、自分たちの持っている読み書き計算といった知識を子どもに伝えようと必死なのです。教え子の中から、たとえば医者となり、少しでも世の中の不幸を取り除くきっかけになればと願っているのです。
しかし、国境で密輸の運び屋などをしている子どもにとって、勉強する余裕なんてありません。読み書き計算の知識に意味を見出すこともできません。自分の生活、つまるところ自分の命のことで精一杯なのです。そういった子どもたちに、学問の大切さを主張していく姿は、今日の日本の教員の心も打ちます。状況は違いますが、家庭の事情により、勉強どころではない子どもたちのために、教員としてどうしたらいいのか。この映画を見ることで、あらためて教育の原点に立ち返ることができます。
「自分の名前を書きたい」と言い、自分の食事を教師に与えた少年。食料と交換し、知りたいという欲求を満たした少年の行為が印象的でした。
子どもを必死に守ろうとする母。
商売道具の黒板を壊して脚を骨折した少年のためにギブスを作る教師。
映画のいたるところに、考えさせられるものがありました。
監督がこの映画を語るときに繰り返す言葉がある。
「スタンリー・キューブリックは現代の不幸は知識がありすぎることだと言っています。でも世界中に知識を学ぶことができなくて苦しんでいる人もたくさんいる。」
(「知識不在の中で-ブラックボードが示すもの」水原文人より)