2009年09月22日
館林25万石の夢
東武伊勢崎線で北千住から鈍行で1時間強。館林駅を降りると、分福茶釜のたぬきの石像に迎えられる。花山うどんで昼食。
竜の井、大道寺、青龍神社、旧二業見番、外池商店、鷹匠町の武家館、館林城址土橋門を歩く。
綱吉の時代に栄えた街並みを復元させようと試みられていた。
そして、資料館を見学し、上毛モスリン事務所、田山花袋旧居、旧秋元別邸、尾曳稲荷、城沼の遊歩道を経て榊原康政の墓所のある善導寺へ。
アピタというショッピングモールの繁盛を見ながら、道を引き返す。
竹生島神社を確認し、駅へ戻る。
徳川家康が関東に入った際に、東北へのにらみをきかせる要所として榊原康政が入城。
後に将軍となる綱吉も城主であった街。上毛モスリンの工場は、機産業で近代の日本を牽引し、館林を日本のマンチェスターと田口卯吉はたとえている。
現在は、都市計画が進められているが、駅前周辺は活気がない。保存された歴史文化遺産は、期待された役割を果たせていない。近世・近代の繁栄は、衰微の一途をたどっているように感じた。
街の始まりは、きつねの尾に曳かれて、この地に導かれたという伝説がある。
近世・近代の繁栄が、きつねにっだまされた夢と終わって欲しくはないものである。