2009年12月13日

私塾ならでは型破りな講義

熱い想いと継続が何よりも大切だと勇気付けられました。

2009年12月7日 日本経済新聞 夕刊 18ページ より引用
学者ら開講「本当に学びたいことを」――私塾ならでは型破りな講義(夕刊文化)

さまざまな分野の学者たちが、大学とは異なる自前の場で奔放に講義する「私塾」を旗揚げしている。激動の時代に、新たな教育と学問のあり方を探っている。奄美の森林に住むアマミノクロウサギなどを原告にした訴訟で原告側弁護人を務めた弁護士、籠橋隆明氏の「動物弁護士養成講座」。人間のふんは土に返るべきだという思いから、のべ1万回以上、山などで実践してきた伊沢正名氏の「ノグソフィア」。大学ではまず考えられない型破りな講義が並ぶ――。ここは東京・四谷。かつて小学校の校舎だった建物「四谷ひろば」を拠点に、今年7月、思想家・人類学者の中沢新一氏が私塾「くくのち学舎」をスタートさせた。

「知識だけでなく」

中沢氏は多摩美術大学で教授も務めるが、「大学という組織には何かと制約がある。あまり刺激的なことを言って、単位を取りたいという若い学生たちの人生を狂わせてしまったら、という自己規制もある。知識を伝えるだけでなく、学問を通じて日本人の心も体も変えていくため、そんな制限を取っ払ったところでやってみたかった」。自身のこの日の講義はタイトルが「ぼくらの重農主義」。経済学史などの教科書で見受けられる「重農主義」の世界から飛び出し、人類学の「贈与」という概念なども織り交ぜ、新しい視座を開く。グローバリゼーションの進展と昨秋のリーマン・ショック以来の金融危機。資本主義が置かれている状況を踏まえつつ、新しい経済システムのあり方を探ろう、というのがこの講義の目指すところだ。くくのちは1回1時間半の講座を月に4、5回提供する。料金はたいてい1回2000円で、だれでも参加できる。中沢氏の講義に集った約80人は、20歳前後の学生から、スーツ姿の働き盛りの社会人、主婦、定年後も学びを続けたい人まで多彩。「大学では、自分がなぜ講義を受けているかわかっていない大学生も多い。ところが、くくのちの参加者は自分でお金を出して意識的に来ている。それだけに、教える側にとっても下手な講義をしたらまずいという緊張感がある」と中沢氏は楽しげだ。

比較文学者で作家の小谷野敦氏が主宰するのが人文系の教養塾「猫猫塾」。今春に東京大学の非常勤講師をやめたが、教えることを続けたい、と立ち上げた。用意した講座は英語・フランス語に世界史、文学。だが世界史の講座では、受講者に世界史どころか日本史の知識があまりない、ということがわかり、急きょ日本史の講座に変更したことも。小谷野氏は「大学でもできるはず」と語るが、その柔軟性は私塾だからこそとも映る。現在は東京都杉並区の会場で教べんを執る小谷野氏。今後、インターネットを通じて地方の希望者に対して指導をすることなども考えている。

昨今、私塾が相次いで誕生しているのはなぜか。我々を取り巻く社会環境が変化しているから、というのが当然ながら大きな理由だろう。1999年に発足した私塾「東京自由大学」。理事長を務める宗教学者の鎌田東二氏は、立ち上げたきっかけの1つとして90年代に起きたオウム真理教事件や神戸連続児童殺傷事件を挙げる。悲惨な事件を止められなかった社会の問題点とは何だったのか。こうした思考を進める中で「お説教的な授業をする学校とは異なる、より市民の生活空間に近いところで本当に学びたいことを学べる場をつくりたい」との思いに至った。

赤字続きでも継続

東京自由大学は小幅とはいえ赤字が続いているにもかかわらず、10年もの間活動してきた。一般のカルチャースクールなどでは考えにくいことだ。営利を目的とせず、強い志から出発したからこそといえる。振り返ってみれば、吉田松陰の松下村塾や福沢諭吉の慶応義塾といった私塾が社会に影響を与えたのは、江戸後期から明治という激動の時代だった。置かれた状況はかつてと大きく異なるが、社会が変わる中で学びの形も変わっていく、ということはいつの世でも自然な流れなのかもしれない。小規模ゆえの柔軟さや強い志を生かし、現代によみがえる私塾が優れた人材や学問を世に出してくれることを期待したい。

(文化部 柏崎海一郎)
【図・写真】私塾「くくのち学舎」で講義をする中沢新一氏(東京・四谷)
2009年12月7日 日本経済新聞 夕刊 18ページ

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