2011年06月02日
紙と木綿と松坂商人
以前、伊勢に旅行した後、書いた文章です。
この後、東京・日本橋の小津産業を訪問するなど、様々な展開がありました。
高校の授業での教材を作ったり、企業の歴史を調査したり、歴史を生かしたまちづくりに関わったり、そんなきっかけとなった文章です。
紙と木綿と松坂商人
古くから街道の要衝の地として栄えた松坂は、蒲生氏郷により城下町が開かれた[天正16(1588)年]。
氏郷は、伊勢神宮の参宮街道を町に引き入れ、近江商人を招くといった江戸時代松坂の繁栄の礎を築いた。
この松坂から、三井をはじめとする多くの豪商が出た。
また、松坂は、木綿織物の一大産地であった。
松坂木綿は、品質が優れているだけではなく、デザイン性にも優れていた。
シマ柄で粋な江戸庶民に大いにうけた。
この木綿を商ったのが、松坂商人であった。
江戸・大伝馬町一丁目に軒を並べた木綿問屋へは、毎年約55万反もの木綿が送られたという。
2006年3月、Rとこの松坂の地を見学した。
松坂城跡、本居宣長にまつわる史跡、三井家発祥の地など興味深いものが多かったが、なかでも印象に残ったのが「松坂商人の館(旧小津清左衛門家)」であった。
立派な木材で組まれた、昔ながらの建築。
毎日約1万人が家の前を往来し、多くの人が働いていた場所。
仕事場、台所、居住スペースから当時の様子をうかがうことができた。
千両箱が10個入る万両箱は他では見ることができないそうだ。
この小津家は、1653(承応2)年に江戸に紙店を開業し、1698(元禄11)年には隣地に木綿店を開いた。1755(宝暦5)年には、三井家などとともに紀州藩の御為替御用を命じられている。
明治以降も銀行や紡績業などで発展を遂げた。
関東大震災、昭和恐慌を機に経営が悪化したが、現在でも紙を中心に創業以来の場所で営業を続けている。
家に帰り、現在の小津家の事業を調べてみた。
人工透析の止血用不織布、自販機向け清掃用不織布ワイパーの開発などが目を引く。
江戸時代からの紙や織物の技術が、現代の高度なテクノロジーに応用されていることに驚きと感動を覚えた。
携帯電話やパソコンの内部の部品にも、和紙が使われていると知る。
江戸時代の技術を改めて見直す機会となった。
トラックバックURL
この記事へのコメント
さすが博識の洋ちゃん。とことん調べ上げるのですねえ。
日本橋シャッター浮世絵の制作を通して、江戸の老舗に関わってきましたが、小津さんは、世襲じゃないところとか、柔軟な経営とか、すごく独特な気がします。
江戸の老舗に関わってこられたと聞き、羨ましです。いろんなお話を聞かせてくださいね。
小津さん、私も好きな企業です