2013年09月24日
修学旅行や林間学校、これからの宿泊学習のあり方について
修学旅行や林間学校などこれからの宿泊学習のあり方について。
修学旅行とは文字どおり学をおさめるという旅です。
そういった意味では、ヨーロッパの貴族が行っていたグランドツアーといったものがあります。書籍で得た地理、歴史の知識を史跡めぐりなどによって実地で学び、文化的な教養を身につけていきました。パーティーなどに参加して社交を学んでいき、人脈も広げていきました。地元を離れて庶民の生活を知り、自国での政治に生かしていきました。ロシアのピョートル大帝の事例などが有名であります。
日本では講を組み、お金を積み立て、数名が村から送り出されていったお伊勢参りの伝統もありました。
近代になってからも一般の庶民の所得が低かったころは、なかなか遠方へ旅行へ行くこともできなかったため、見聞を広めることが修学旅行の大きな目的とされているところはあると研究の中でも言われております。
しかし、現在では海外を含め遠方へ旅行に行く家庭も多くなってきたところから、修学旅行の存在意義を問う声も一部にはあります。
修学旅行費用の捻出が困難な家庭の存在、入試や部活動の大会との兼ね合い、授業時間の確保、旅先での不祥事など、課題は多いものです。しかし、一方でその意義は長年の実績からも認められております。
そこで、この授業時間の確保が難しい中や旅費の積み立ても大変な中、実施する修学旅行のあり方について考え直す時期にきています。
柏市では、小学校は日光へ、中学校は京都・奈良へ修学旅行先としております。歴史文化を学ぶ上で妥当なものと考えております。
一方で、物見遊山ではなく、本来の文字通りの学をおさめる学習活動を市の目的としてフィールドワークや地域調査や取材活動など、レポートをまとめるような活動をしている学校もあります。
今、児童にとって必要なことは、例えばこの農家の民泊など地域の文化を体験し、つながりをつくっていくことではないかと私は考えております。
都市と農村、山村、漁村、あるいは農村と農村、山村と漁村などの交流など、ふだんからの地域の交流は一生の財産となります。
私が高校でで歴史の授業を行っていて感じたことは、農業の発達を説明するにしても、
「くわなど農具のことがわからない」、「水田を見たことがない」、大人にとって当たり前のことがイメージできない子供がいるということがあります。
これからますます当たり前と感じているこの日本の生活に触れる、触れられる機会は減ってきています。
京都で寺社をめぐる旅は、家庭でも企画できますが、農村の暮らしを体験するには、学校の支援が必要なのが現状であります。
修学旅行に農家民泊を取り入れることは意義があると考えています。
また、林間学校や校外学習で市内の農家に農業体験を行うことについても、ぜひとも実行していってほしいものです。
修学旅行とは文字どおり学をおさめるという旅です。
そういった意味では、ヨーロッパの貴族が行っていたグランドツアーといったものがあります。書籍で得た地理、歴史の知識を史跡めぐりなどによって実地で学び、文化的な教養を身につけていきました。パーティーなどに参加して社交を学んでいき、人脈も広げていきました。地元を離れて庶民の生活を知り、自国での政治に生かしていきました。ロシアのピョートル大帝の事例などが有名であります。
日本では講を組み、お金を積み立て、数名が村から送り出されていったお伊勢参りの伝統もありました。
近代になってからも一般の庶民の所得が低かったころは、なかなか遠方へ旅行へ行くこともできなかったため、見聞を広めることが修学旅行の大きな目的とされているところはあると研究の中でも言われております。
しかし、現在では海外を含め遠方へ旅行に行く家庭も多くなってきたところから、修学旅行の存在意義を問う声も一部にはあります。
修学旅行費用の捻出が困難な家庭の存在、入試や部活動の大会との兼ね合い、授業時間の確保、旅先での不祥事など、課題は多いものです。しかし、一方でその意義は長年の実績からも認められております。
そこで、この授業時間の確保が難しい中や旅費の積み立ても大変な中、実施する修学旅行のあり方について考え直す時期にきています。
柏市では、小学校は日光へ、中学校は京都・奈良へ修学旅行先としております。歴史文化を学ぶ上で妥当なものと考えております。
一方で、物見遊山ではなく、本来の文字通りの学をおさめる学習活動を市の目的としてフィールドワークや地域調査や取材活動など、レポートをまとめるような活動をしている学校もあります。
今、児童にとって必要なことは、例えばこの農家の民泊など地域の文化を体験し、つながりをつくっていくことではないかと私は考えております。
都市と農村、山村、漁村、あるいは農村と農村、山村と漁村などの交流など、ふだんからの地域の交流は一生の財産となります。
私が高校でで歴史の授業を行っていて感じたことは、農業の発達を説明するにしても、
「くわなど農具のことがわからない」、「水田を見たことがない」、大人にとって当たり前のことがイメージできない子供がいるということがあります。
これからますます当たり前と感じているこの日本の生活に触れる、触れられる機会は減ってきています。
京都で寺社をめぐる旅は、家庭でも企画できますが、農村の暮らしを体験するには、学校の支援が必要なのが現状であります。
修学旅行に農家民泊を取り入れることは意義があると考えています。
また、林間学校や校外学習で市内の農家に農業体験を行うことについても、ぜひとも実行していってほしいものです。