コラム

2011年05月18日

人と人とをつなぐ襷(たすき)になります。

【人と人とをつなぐ襷(たすき)になります。】

 

人と人をつなげる。過去と未来をつなげる。私たちの願いを市政につなげる。

そんな、襷(たすき)に私は、なります。

みなさん、私と一緒に走ってください!


駅伝で重要な役割を果たす襷(たすき)。

ランナーの頑張り、チームの想い、チームの伝統。

そんな目に見えない力が一本の布にこめられています。


  私の役割は、襷(たすき)と同じ。

  あなたと共に走ります。

  苦しい時も一緒です。

  あなたの一生懸命を次のランナーに伝えます。
  襷(たすき)が、柏の一人ひとりの一生懸命を結びます。



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2011年05月09日

みんなで作る博物館-吹田市立博物館

市民が企画運営に携わる吹田市立博物館を見学しました。
大阪府吹田市は、万博公園のあるまちです。
特別展「万博市民展」に関わる多彩なイベントや講演が開かれていました。
市民で作るという観点だけでなく、見学会など博物館がまちに出ていくこと、草の根の国際交流企画が、ほかの市町村立博物館にも役立つポイントになると感じました。

平成22年の特別展「災害から地域遺産をみなおす」では、災害から地域遺産を守り、次世代に伝えていくとはどういうことなのか、どうすればいいのかといった災害と地域遺産について考えられています。震災後の今、大切な提言だったと振り返っています。


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2011年04月19日

再チャレンジを支える地域の力

以下、『BE−COM 4月号 vol.222』 (2011.4.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より引用

再チャレンジを支える地域の力


【近代社会事業の父・原胤昭】

柏市手賀に、原氏の墓所がある。道路脇に小さな案内はあるが、名所として知られているわけではない。原氏は、下総国相馬郡手賀の領主であった千葉一族である。この原氏では、元和九(一六二三)年に火刑にあった殉教したキリシタン原主水(胤信)が知られている。

手賀地域は、手賀沼や新利根川の交通の要衝として栄えた。明治時代には、この地にニコライ大司教によるハリスト正教の手賀教会堂が建てられた(わらぶき屋根の和風の建築で、旧手賀教会堂として現存する)。信者は、三百人を超えたという。明治期、キリスト教は、都市部で広がったと言われる。この地は、時代の最先端であったのだ。

さて、お墓の話に戻る。この原氏の墓所に、小さな墓石が並んでいる。これらは、原胤昭が、前科のある人たちを更生保護し、埋葬したものである。先祖代々の墓所に、前科のある人たちを埋葬するというのは、時代状況や由緒ある家柄ということを考えると、周囲からの反対を押し切っての一大決断だったと想像できる。

原胤昭は、江戸南町奉行の最後の与力であり、熱心なキリスト教信者だ。原女学校というキリスト教学校も建てている。自由民権運動時の出版で、自分自身も投獄され、監獄でひどい仕打ちを受ける。その経験から、監獄の改良を主張し、教誨師としての活動を始めた。また、原は、前科のある人たちは社会的な偏見や差別を受けるため、再犯が多いと考え、更生保護施設を東京・神田の自宅に設ける。さらに、低所得者向けの住宅も東京・田端に建てた。原胤昭は、そのキリスト教精神や最後の与力の記録として注目を集めてきた。今日、社会起業家として、ますます注目を集めるであろう人物である。

前科ある人たちを同じ敷地に埋葬した原氏の墓所は、原胤昭の精神を表現した貴重な柏の史跡である。
CIMG1391


【ある保護司の活動】

現在の更生保護について紹介したい。犯罪や非行をした人が、地域の中で生活しながら、国家公務員の保護監察官や地域のボランティアである保護司の支援をうけながら、立ち直りをはかろうという保護観察の制度がある。

あるきっかけから、約二十年この保護司を続けているTさんからお声をかけて頂き、私も関わらせてもらうようになった。保護司のTさんは、保護観察の後も、生涯にわたって更生を支援したいという思いから、就職や生活の相談を続けてこられた。そのTさんは、昨年、病気を患われたことをきっかけに、個人の力だけではなく、多くの方々の協力を得ながら活動していかなければと思うようになり、更生を支援する会を立ち上げることになった。Tさん、Tさんに保護観察を受けた教え子、協力的な雇用主、Tさんの考えに賛同する方たちが集まりまった。

重いテーマだ。Tさんへの信頼と状況をわかる人たちが集まるので、核心に迫る質問が投げかけられる。就職の相談もあり、現実的な話し合いが行われる。教育、政治・経済、地域社会、家庭問題さまざまな社会問題が凝縮している。ここに参加するたび、裸の自分が試されているような気持ちになる。

【再チャレンジを支援】

更生保護の会は、私の教育の原点に帰らせる貴重な場でもある。学生の時、金沢泰裕『イレズミ牧師とツッパリ少年達』を読んだ。元ヤクザだった作者が改心し、小さな教会で、暴走行為や薬物汚染の迷える少年たちと格闘し、交流する記録だ。正直なところ、一度、失敗を犯してしまうと、再チャレンジが難しいという現実がある。だからこそ、再チャレンジのための支援が必要になるのだ、と強く感じたのを覚えている。

高校で教員をしていた時、PTAや商店の方々、卒業生など地域の方々に支えられて、教育にあたってきた。不況からデパートや大型店が撤退し、まちから活気がなくなり、治安も悪くなった。家庭環境も悪くなる。まちへ出ると、良くない誘惑や人生を諦めさせるような発言を大人が行っている。人とのつながりも弱くなり、地域で人を育てきれなくなっているのを感じた。学校教育だけでは解決できない、何とかせねばと思い立ったのである。

大学院での研究や学校外での教育活動を通じて、地域での教育力の重要性を実感した。学校で活躍できなくても、お手伝いをして近所のおばさんに誉められる。夜遅くに歩いていたら、心配される。失敗しても、長い人生経験から励ましてもらえる。そんな地域になって欲しい。

社会や時代のせいばかりにせずに、身近なところから良くしていくような協力をしていきたい。そんな思いを持って、日々活動している。

(山下 洋輔)



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2011年03月27日

復興に向けた柏からの発信



3/26(土)、27(日)、R2にて、柏アートデイライトが開催されました。
http://www.kashiwa-art.com/
作品を鑑賞し、コレクターの趣向や性格を想像したりして、楽しめました。


震災の影響で、多くのイベントが中止になる中、柏デイライトは、規模を縮小しながら開催することになりました。
このようなときこそ力を持つ「アートを拠り所として、柏のまちづくりにかかわる人間が集まる機会を設けること、そして縮小した形ででも実施してこれを発信することが柏の将来につながると考えた」主催者の決断でした。
こんな時期だけど、いや、こんな時期だからこそ、柏から文化の力を発信することは素晴らしいと、私は思います。
開催して頂いたお陰で、何らかの出会いも生まれたことと思います。

二番街では、チャリティーライブ「愛・東日本かしわエイド」が開催されました。 先週3/19、3/20、今週3/26、27、来週次週4/2(土)4/3(日)と開催。気持ちが伝わったきました。ライブならではの力を感じました。
二番街に人通りも多く、元気づけられます。


柏駅前通り商店街、ハウディモールにも、人通りが多かったです。
http://pk.gd/AdwY
路上にこんなにも自転車がとめられていたのは久々な気がします。


柏アートデイライトや愛・東日本かしわエイド。
柏では、文化の力で、復興に向けたメッセージが発信されていました。
柏のまちの持つエネルギーを感じます。

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2011年03月26日

学びの場つくり‐『哲学への権利』を読んで

ジャック・デリダたちが創設に関わったフランスの「国際哲学コレージュ」。
これは、大学ではなく、哲学研究や哲学教育の市民団体です。

この本は、「国際哲学コレージュ」の関係者へのインタビュー記録とそのドキュメンタリー映画と、著者の西山雄二氏のエッセイ。

「国際哲学コレージュ」には及びませんが、「柏まちなかカレッジ」は、哲学カフェやサイエンスカフェの流れを汲む地域活動です。
 私自身、大学院の博士課程にて哲学(教育思想)を研究していた身でもあったので、
この著者で監督の西山氏の人文学への問題意識には、共感いたしました。

 「柏まちなかカレッジ」も、誰でも先生になれ「教える権利」が確保され、
年間カリキュラムもなく、入学資格もなく、学位授与もなく、スタッフも無報酬で、国際哲学コレージュと共通する部分も多く、理念から組織の抱える問題まで、具体的に参考になりました。

現在の教育制度への問い直し、経済原理と価値、場といったテーマは、国際哲学コレージュのみならず、ビジネスや地域など現代社会においても重要なものと感じました。
 そして、何より、上映・討論会という場を作りながら、哲学の可能性を問い直している西山氏の活動に心を打たれました。






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2011年03月25日

地方分権型の教育


金沢市は、2004年から世界都市金沢・小中一貫英語教育特区として、08年からは教育課程特例校として独自に英語教育を推進している。 地域の歴史文化を世界に発信できる英語力を目指した教材を入手できた。 英語圏の歴史文化を知るとともに、 やはり、自国の、自分の住む地域のことを語れなければ、片手落ちになる。 地方分権型の教育活動として、柏市の教育にも参考にしていきたい。

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2011年03月24日

大学を卒業される大切な仲間たちへ

大学の卒業式。中止した学校が多いようだ。
私が大学の卒業式の時期は、毎日が追い出しコンパで、飲み会ばかりだった。
しかし、今年の卒業生は、状況が大きく違う。
ある四年生は、学生生活の最後の最後まで、募金活動に参加していると聞いた。
素晴らし過ぎて、泣けてきた。

卒業生に多い22歳の学年は、生まれた時から不況で、小学校入学の年には阪神大震災や地下鉄サリン事件、ゆとり教育や履修漏れ問題、苦労して大学に入ったのに大学全入時代と言われ、リーマンショックにより就職は困難と社会に翻弄されてきた感じだ。
大変だったと思う。

これからは、自分たちが社会を作る立場になり、子どもたちに辛い思いをさせないよう、私たちと力を合わせ、頑張って欲しい。
苦労して、思いやりのある君たちだからこそ、できることだと信じている。

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これからの修学旅行

これからの修学旅行は、海外を知ることを目的にするのではなく、ショートステイなどで地域の文化を体験し、つながりを作ることに移行していくだろう。

テロなどのリスク、為替変動、原油価格に左右される海外でなくても、日本の山村漁村農村の生活体験の方が、かえって貴重な勉強になるとも考えられる。

電気を使わないで生きていく体験など、
「生きる力」を育む上でも有効である。

都市と農村山村漁村、あるいは農村山村漁村間での交流など、普段からの地域間の連携は、大切だ。

この地震の復興には時間がかかるだろう。物資輸送など緊急支援は、行政や大企業などが担ったが、精神的な支援や細やかな手伝いなど、継続的な支援では、複合的な地域間の連携が大切になってくるはずだ。

世間の関心が薄れてしまいそうな時こそ、日常の交流がモノを言ってくるのではないだろうか。

これからの修学旅行のキーワードは、
体験と交流と考えられる。
農山漁村での仕事や生活や
アフリカやアジアに出て学校や病院などを建てる活動。
そして旅行後も続くつながりを作ること。

そんな変化を感じている。


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2011年03月22日

社会とのひっかかりを作る経験主義教育

子どもが「電気はどこから来るの?」と電線を指差した。
その父親は「じゃあ見に行こう」と言って、二人で延々と自転車をこいだ。
結局、わからなかった。
同僚の先生から聞いた話だ。

社会への強いひっかかりを作る。あとは、その子が自分で答えを探すだろう、と。

私は、その先生を尊敬するようになった。

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2011年03月17日

立教新座高校校長先生のメッセージ

卒業式のメッセージは、一人ひとりの人生に訴えかけてるので、授業の集大成だと思います。
そこで、私は、卒業式の校長・学長のメッセージを毎年チェックするようにしています。
今年は、非常時のため、卒業式が開催できなかった学校や中止された学校が多かったと聞いています。
その中で、特に、卒業式を中止した立教新座高校校長先生のメッセージに、心を打たれました。
一生、学び続けること。
現実を、自己を直視すること。祝意を避けず、真っ直ぐにメッセージが送られています。

卒業式が中止になった立教新座のHPより
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ。」
 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32


 一言付言する。
 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司

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2011年03月14日

オープンエデュケーションと学びの場づくり

オープンエデュケーションなど教育コンテンツの無償化が進む。
でも、これによって教育機会の均等が達成するとは言えない。
学びの場づくりが必要だ。
学びのへの条件づけや他者との出会いによる相互作用が設計された学びの場の存在がポイントになってくるだろう。

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2011年03月13日

入院中に地震



先週3/6の日曜日、救急車で運ばれ、
腸閉塞のため入院してしまいました。

幸い、休日の当番だった病院に、
私の症状に対応できる専門のお医者さんと設備があり、すぐに治療して頂けました。
本当にラッキーでした。

鼻から腸に管を通し、腸を空にしてもらいました。
今は、管が取れ、苦しみからも解放され、
日に日に回復に向かっているのを実感しています。

この入院中に、地震を体験しました。
病院の指導者、スタッフさんのお陰で、
無事に過ごすことができました。
新しい建物で、安心して眠ることができました。

新しい病院なのでこのような災害などの経験の蓄積はないと思います。
でも、経験もさることながら、これからは新しいことに対応していく現場の姿勢が必要だと実感しました。
あるおじいさんが、「80年も生きてるが、こんな地震は初めてだ」と言っていました。
いまだかつてない出来事が、これから起こってくることが考えられます。

布団を避難場所に運んだり、食事を階段で運んだり、歩行が困難な患者さんに付き添ったり、寒い中半袖で、通常以上のお仕事されていたスタッフさんが、いい勉強になったと言っていたのが印象的でした。
その方やその組織は、今後、伸びていくだろうと感じます。

これからの時代、何を知っているかということは、重要ではなくなってきます。
むしろ、学ぼうとする姿勢が、重要になってきます。

あと、もう一点。
災害時、病人や高齢者、認知症の方など、
どのようにして困難を乗り切っていくか。
そんなことを考えさせられました。

病院では、私は若い方なので、高齢の方や重患をサポートしながら、みんなで助け合おうというムードがありました。

居住している地域でも、このように助け合えるコミュニティを日頃から築いておく必要を感じます。
性善説を信じ、非常時は助け合うとしても、近所にどのような方がお住まいか把握し、自分の存在もアピールしていくことは必要だと思います。

被災者の無事をお祈りしています。

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2011年02月20日

袖振り合うも多生の縁

袖振り合うも多生の縁。
これは、道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ、宿縁による。つまり、ちょつとした出来事もすべて、前世からの因縁によるいう意味です。

今、仕事や活動を一緒にやっている方の多くは、bar、下足箱、トイレ、役所、居酒屋、飛行機の隣席などでの会話からお付合いが始まっています。

お互い、引き合う何かを一瞬で感じるのだと思います。そういった直感も大切にしていきたいです。
そして、出会いのチャンスは、いたるところに転がっていて、それに気づけるかどうかが大切だとわかるようになりました。

酔っ払った方や変な人に声をかけられると、一緒に盛り上がってしまうことがあります。迷惑をかけられることは、あまりありません。たまに不思議なチャンスがあることも。
そう言えば、うちの父もそうだった気がします。親の影響なのかもしれません。

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2010年12月11日

吉田甚左衛門のまちづくり-史跡めぐり3

旧吉田家住宅は、平成16年に柏市に遺贈され、
平成21年に旧吉田家住宅歴史公園として開園しました。
吉田家に伝わる約1600点もの古文書も寄贈され、
そこから柏の歴史が明らかになっていくと期待されます。
CIMG1042
この吉田家の古文書ですが、代々の当主が整理してきました。
文書を大切に保管し、次代に受け継いできたのです。
古文書は、駅伝の襷(たすき)のように、
時代の様子を伝えていく役割を担っています。
代々の当主は、そういった価値をわかり、
その責任を果たしてこられました。
CIMG1044
元和6(1620)年の検地に、花野井の案内人として吉田家は登場します。
主に農業を営みながら名主として栄えたと考えられます。

江戸時代中期頃からは金融や穀物売買等の事業を行っています。
天保の飢饉から、小地主や小作人を救済するためとも言われています。

文化2(1805)年から、醤油醸造業も手がけるようになりました。
(大正11年にキッコウマンに譲渡し、廃業。 ※大震災の前)

文政9年(1826)には、関東4か所にある幕府直轄の牧の一つ「小金牧」の牧士(もくし)に任命され、以降4代にわたり牧の経営に関わりました。
下は、醤油醸造所の写真。
CIMG1058
ここで、柏のまちづくりを語る上で、重要な人物を紹介いたします。
レジャーによるまちつくりを目指した吉田甚左衛門さんです。
柏市郷土資料館「ゴルフと競馬でまちおこし」展でも紹介されました。

第一次大戦後、世界的に平和で、自由な文化が育まれた大正時代。
昭和に入り、経済恐慌の波に襲われ、
農村では娘を売ってしまわなければならない家も出てきたといいます。
日本全体に軍国主義による活路を見出すわけですが、
吉田甚左衛門さんは、農村の柏を、関東の宝塚にしようと考えました。

宝塚劇場を擁する阪急グループの創始者は、小林一三。
小林一三は、福沢諭吉の弟子で、吉田甚左衛門の先輩にあたる人物です。
吉田甚左衛門は、宝塚劇場に行って、食堂のメニューを書き写したりしています。
現在のハウディモール・柏駅前通に、柏劇場を作りました。

そして、現在の豊四季台団地に、競馬場とゴルフ場を作りました。
ゴルフ場のアイディアを出したのは朝日新聞記者であった杉村楚人冠だそうです。

吉田甚左衛門杉村楚人冠は手賀沼干拓に反対し、
手賀沼を観光資源として活用せよと主張しています。
CIMG1063
第一回柏競馬は昭和3年5月に三日間で、
合計入場者数が7万人、総売上が14万円だったとあります。
当時の柏町の人口が7千人程、町の予算が5〜6千円です。
人口の約10倍の入場数に、町の予算の23〜28倍の売り上げ。
(※『値段史年表』(朝日新聞社)によると、当時の公務員の初任給は75円)

しかし、軍国主義の流れの中、吉田甚左衛門は、軍馬育成場として競馬場を存続させます。
結局は、第二次大戦が始まり、競馬場とゴルフ場は、閉鎖されました。
CIMG1064
軍国主義の中、文化の力に柏の活路を見出した吉田甚左衛門。
阪神競馬場、宝塚劇場、ゴルフ場を手本に、柏の未来を構想しました。
観光地としての手賀沼の魅力も引出そうとしています。

小林一三の阪急沿線で生まれ、吉田甚左衛門の柏で暮らす私としましては、何かただならぬご縁を感じる話でありました。




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2010年12月06日

苅込和男先生との思い出

今日、苅込和男先生のご葬儀で水戸を訪れた。

在職中いくつかの手術を乗り越えてこられたが、
退職されてからは一気に闘病生活に移行したように感じる。
私も、柏の葉の病院に何度か、お見舞いに伺い、お話をさせて頂いた。
病に負けないすさまじい精神力であった。

苅込先生は、私が土浦日大に新任教員として入った時に、大先輩にあたる先生である。
頑固で、怖くて、理屈っぽくて、執念深くて、、、
よくないことばかり並べてしまったが、本当にそんな印象だった。
あの先生とは付き合わない方が良いという「親切な」ご助言をもらったことさえある。

意見が出ることが少ない教職員会議であったが、
苅込先生は筋の通らないことに反論する。
ある会議で、私が意見を述べたことを評価して下さり、
力泉という近くの焼肉屋さんでご馳走になった。

一緒にお酒を交わすうちに、少しずつその印象は変わった。
一本気で、根性があり、正義感あふれる先生であった。

全国でも指折りの体操部の監督として、約40年間を駆け抜けられた。
土浦日大の創立時から教師として、学校を築き上げてきたという自負を感じた。
体操部のこと、学校のこと、生徒のこと、そして教育を考えてばかりいた。

教員最後の1年は、私の担任する学級の副担任として、
それまでのご経験を伝えていただいた。
受験にむけたメンタル面のケアや本番にピークを持っていく調整法など、
全国の大会で培ってきたエッセンスが学級経営にも生きた。

早朝から部活の指導、夜は同僚の先生と飲みながら議論を交わす。
同時に、卒業生、保護者、地域の方々とも交流を深めていた。
体操部寮も監督し、公私の境なく、教育に身を捧げているようであった。
寮生の生活指導、親との関わり、地域との関わり、部活動、
当時、学生寮の監督をしていた私に貴重なお話をしてくださった。

生徒の家庭状況、地域の経済状況や治安、家庭・地域の教育力、
そんな学校だけにおさまらない課題に取り組む必要性を実感したのは、
苅込先生の影響が大きい。

今、私の活動を見て、何と声をかけて下さるだろうか。
応援の言葉を頂けただろうか。
あるいは先生の自慢話を聞かされたかもしれない。
これからの私の活動を、先生がどこかで見守っていて下さると信じ、頑張っていきたい。




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2010年12月05日

安在邦夫先生の市民大学構想

12/4、日本史攷究(こうきゅう)会2010年度総会が開かれました。
日本史攷究会は、早稲田大学教育学部地理歴史科の先輩方の研究会から始まり、
日本史研究や歴史教育に進んだ方々が中心に集まっています。
5月の史跡歩き、12月の総会、研究誌発行が主な活動です。

この学会に参加して、はや11年。
私の進路の岐路で、この学会から示唆や後押しを頂きました。
日本史研究のため大学院進学、教員への道へ、そして再び大学院へ。
恩師や先輩のご助言や励ましのお陰です。
今日も、先輩である安在邦夫先生の講演から、
柏まちカレの活動への励ましと、今後の私の方向性を示唆して頂きました。

「"夢"想起し、今"終活"へ思いを馳せて」という演題で、
安在邦夫先生の来し方を振り返り、今を考え、
人生終盤のこれからをどうまとめていくか話して下さりました。
(※「就活」と「終活」をかけておられます)

まず、民衆史研究に至った原点について。
学生運動のこと、西岡虎之助先生の下で民衆史との出会い、
塾講師をしながらの研究、深谷博治先生から「政治」の視点を得たこと、
夜間の第二文学部非常勤講師の様子を語って下さりました。

次に、東京歴史科学研究会で「自由民権百年運動」で
全国的なムーブメントを起こした活動について。

そして、戦後歴史学における自己批判やこれからの歴史学について。
この部分については、講演時間内では語り切ず、私たちに課題を示して下さりました。

最後に、安在先生のこれからの目標として、「歴史を学ぶ」場の設定について。

2000年に福島自由民権大学を開校し、
地域の創造を担う文化運動としての役割を果たされています。
そして、福島県三春町に開設された自由民権記念館を拠点に、
地域の顕彰会や研究会のネットワーク作り、情報・史料の収集・整理を進められています。
将来的には、自由民権運動家・河野広中を輩出した三春で、
自由民権を中心とした人権や平和を考える市民大学を構想したいとおっしゃっられました。
アカデミックの世界から出て、地域で活動していくというご決意に感激しました。

勉強する機会に恵まれなかった方々への教育活動を志し、
かつては夜間学校の教師を目指した安在先生。
その思いは、今、市民大学の活動に向かっています。
民衆と政治の関わりという視点を加えて下さった深谷先生のご出身地の近くで、
恩師西岡先生の蔵書を寄贈した西岡文庫を開き、
地域を巻き込んだ歴史を学ぶ場を創造されようとしています。

歴史研究から、学校教育、そして今、地域での活動をしている私にとって、
安在先生のお話には大変勇気づけられました。


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2010年12月04日

ブロボノ〜市民活動に参加して

都内でのミーティング後の夕食時の会話です。

若手の一人が、先輩に質問しました。
一般の業務と社外での活動の境界をどうすればいいか、と。

先輩は、境界はないと答えました。
一般業務も社外での活動も、ビジョンは一緒だから。
今、社内の業務だけでは身につかないスキルがあり、得られない経験がある。
社外での活動を通して、本業が開けてくる。
視野が広がり、意識が高くなる。
NPOの活動を通して、人を巻き込んでいくことを体感する。
喜んでリーダーを支え、リーダーは固い決意と責任を持って、みんなの思いを伝えていく。
このチームワークは、体験してみないとわからないものだ。
たしかに、島崎藤村の「夜明け前」のように、一人だけ意識が高くても、社内の理解が得られず、孤立する可能性もある。
しかし、社外には理解者がおり、外部からの評価もあり、社内も理解せざるを得なくなってくる。

ネットワークが広がる。
社外での活動に、自分の思いをぶつけ、汗水たらして関わると、仲間が認めてくれる。他の活動家とも、どんどんつながっていく。
そんな頑張った活動の話は、ビジネス相手も耳を傾けてくれる。

これらの活動は、単なる慈善活動ではない。停滞した業界に風穴をあけるヒントを探しているのだ。
これらで得られたスキルや経験、ネットワークをビジネスにつなげるつもりでいる。
今、必要な社会問題の解決にNPOは取り組んでいる。
それをビジネスにつなげる新たな仕組みを提案しようと考えている。
そうなった時には、本業に貢献できる。

そんな話をお聞きした。
以前は、会社とNPOという区別がありましたが、今、その垣根はなくなりつつあります。
多様なNPOが存在することは、人が生活を充実させるために大切なことと思いました。

柏まちなかカレッジでも、総会での会計報告に、公認会計士さんからアドバイスしてもらっています。NPOに経営的な知恵や会計業務の効率化方法を授けてくれます。

公認会計士さんにとっては、素人の素朴な質問から新たな発見をしたり、説明の訓練になったそうです。
また、NPOの活動を知り、これからの企業との関わりにも役立つと言ってもらいました。

自分の知識やノウハウを社会のために役立てるというだけでなく、社会のために活動する中で知識やノウハウが身についてくるということに、気づき始めた方が多いと知った夜でした。

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2010年12月02日

コスタリカ戦略

私が、プロジェクトや活動を設計する際に、用いる逆転の発想法があります。

コスタリカ戦略といって、
理念を打ち立て、「ない」ことを売りにする方法です。

例えば、柏まちなかカレッジは、
「まちが教室、身近な人が先生、仕事とは違う地域の顔を持つ」、
こういった考えのもと運営されています。
この考えには、今まで私が教育学や歴史学を研究してきたエッセンスが凝縮されています。

しかし、それだけではない運営面のノウハウでもあります。
この考えで運営しているお陰で、金銭的にまわらなくなることはありません。
まちが教室ということは、逆を言うと教室を持っていないということ。
身近な人が先生ということは、
大先生に気を遣ってお足を準備したり、大勢の人を集めたりする必要がありません。
仕事とは違う地域の顔を持つということなので、みんな別に仕事を持っています。
ボランティアで参加しており、専属の職員はいません。

場所がない、有名人を呼ぶのが難しい、専属の職員を雇えない・見つからない。
こういった市民活動団体が抱える悩みを逆手にとったわけです。

柏市の高柳で始めるサステナ義塾も、何もないことをPR材料にしています。
東京から1時間の「片田舎」という点を打ち出していきます。

このコスタリカ戦略というMBAで学んできたような名前ですが、
私の造語です。

コスタリカにとって、「何もない」森に、カナダ人が訪れました。
なぜカナダ人が訪れるか調べたところ、豊かな自然を求めていたと分かります。
そこで、コスタリカは、エコツアーを整備し、その自然が世界遺産に登録されました。
観光収入が増加しています。
住宅にも、工業、商業にも適さない土地を、観光資源に変えました。

もう一つ、1949年からコスタリカは常設の軍隊を持ちません。
「兵士の数だけ教師を」合言葉に、軍事予算を教育予算に回し教育国家に転換しました。
このお陰で、軍事クーデターはありません。
中米紛争の部分的解決にも功績を残しています。
パナマ、ハイチ、ドミニカなども常設軍を持たないのですが、
コスタリカを模範にした部分もあるそうです。

このコスタリカの姿勢を参考にしています。
自然や平和といった理念を強く打ち出すからこそ、
持たないことを強さに変えられるのだと学び、
コスタリカ戦略と命名した次第です。



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2010年11月11日

古本屋の哀しみ


部屋の本が増える一方なので、Amazonで本を売っています。
でも、本が売れて行くことは、嬉しい半面、非常に寂しいものです。

今日、海老沢有道著「切支丹史の研究」(新人物往来社、昭和40年)が売れていきました。
切支丹史を研究する上で、読んでおくべき本です。大学院の時、図書館でコピーして繰り返し読んだ末、名古屋の古本屋さんで手に入れた時の喜びを思い出します。

この本は絶版なので、必要としている人のもとで生かされた方が、この本にとって幸せに違いありません。ここは笑って、送り出すよう努めます。

11/23(勤労感謝の日)、柏駅前通り商店街にて、「柏市民活動フリーマーケットぽかぽか市」に柏まちなかカレッジは、古本屋を出店いたします。私も本を出します。
Sunny Boy Booksさんとのコラボしての出店です。お楽しみに。

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2010年11月04日

青空共同保育の会「どんぐり」

昨日(2010年11月3日)、青空共同保育「どんぐり」の運動会に参加しました。
どんぐり先生こと、鴫谷佳苗さんは、高校の剣道部の先輩のお母様。
私が、柏市で教育活動をしていると知り、お声をかけて下さりました。

自由な雰囲気で、子どもたちものびのびと、お父さんお母さん方も楽しく積極的に参加されていました。
私も、ダンスや綱引きやリレーに参加させていただきました。
閉会式には、「青い空は」をみんなで歌いました。
「青い空は青いままで、子どもらに伝えたい」
そんなメッセージが伝わってきました。

この青空共同保育「どんぐり」について、頂いた手書きの新聞をもとにご紹介いたします。
青空共同保育「どんぐり」は、園舎を持たず、青空の下が、遊び場・学びの場。教室の代わりに、野山で遊び、てくてく歩き、元気に探検します。
あけぼの山農業公園などで活動しています。

【子育ては農業と似ている】
まず土作り。あとは、信じて見守り、必要に応じた手加減を。
よき苗を育てれば、病気に負けない優良な種も残っていくことでしょう。

【人は誰でも働いて生きていく】
「どんぐり農園」は遊びの場であるとともに、学びの場、労働の場。
できることをやれる喜びは大きい。
人と自然との共生を肌で感じる。

【そして子育てに農作業はあたりまえ】
子育ての柱は、「食」。
道すじが通った食育とは、食べるまでのプロセスそのものである。

以上、頂いた新聞やどんぐり先生のお話からの引用です。

先輩は、大学で農業を学び、アフリカに農業を伝える活動をされていました。
現在は、自分でも農業をしたい気持ちを持ちながら、編集の仕事を通して、日本の農業に貢献されています。
その先輩の活躍には、お母様であるどんぐり先生の活動が背景にあると知った一日でした。



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2010年10月22日

介護老人保健施設「大人の学校」

熊本にある学校形式の介護老人保健施設「大人の学校」の話を聞きました。
自立を支援するという意味で、介護も教育といえます。

HPを参考にご紹介いたします。
http://www.ourakai.com/html/school_saoyama.html

入浴や食事だけを目的とした通所介護(デイサービス)ではなく、
学校の時間割形式のカリキュラムにより、高齢者(生徒)の意欲を引き出し、
介護保険制度本来の目的である『自立支援』を目指した施設です。

介護業界でも話題となり、各種雑誌掲載等で「おとなの学校」の運営形式を広めたところ、現在、山口、岐阜、岡山県、そして東京にも広がり、また、全国からの視察も多いそうです。

おとなの学校では、学習療法の指導法を学んだスタッフが授業形式で機能訓練・脳リハビリなどを行われています。『もっと楽しく・元気に・いきいきと、高齢者のための学舎で!』をテーマとし、高齢者の生活意欲や自立意識を高める事を目標としています。「部活動」(合唱部・応援部・料理研究所・ボランティア部)が発足し、施設内だけでなく外部での発表会や地域行事等へも参加、新たな青春を謳歌されています。

学校形式を取り入れたことにより、お客様のなかには以下のような変化のある方がいらっしゃいました。
●よく笑い、笑顔がでるようになった。
●意欲が出て積極的になった。
●表情がとても明るくなった。
●学ぶことに意欲が出てきた。
●よく話をするようになった。
●他人へ優しく接するようになった。

おとなの学校の朝は朝礼やラジオ体操から始まり、国語、算数、体育、家庭科などの時間があります。(学校ですから、もちろん制服や校歌、スクールバスもあるんです。)

学習療法やリハビリテーション以外にも、回想法などの機能訓練を高齢者に無理のないよう授業形式にして実施しております。なかでも学習療法は、認知症の予防や進行を和らげる効果があるといわれています。

おとなの学校では、くもんの学習療法の教材をしています。これは、音読と計算が中心とする学習を、高齢者(生徒)と指導スタッフがコミュニケーションを取りながら行うことで、学習者の認知機能やコミュニケーション能力、身辺自立機能などの前頭前野機能の維持・改善をはかります。

「学習療法研究会」を主宰する川島隆太・東北大学教授など脳科学分野の最新の研究から生まれた療法です。

各授業の間には、生活リズムにメリハリをつけるために長めの休憩時間を設け(水分補給・排泄等含む)、1単位の授業時間は30分と、集中力を維持できるよう短めに設定しています。

国語・算数
「くもん学習療法」を取り入れた認知症ケアを行います。脳には“前頭前野”という人間らしさを司る部位があり、簡単な問題をスラスラと解くことにより、その機能性を高め、認知症の予防や進行を和らげる効果があるといわれています。お客様のレベルに応じた教材を使用し、1日の学習時間は20〜30分程度、内容は読み・書き、計算、数字盤の3つです。

体育
集団体操、各種運動機器を用いての機能訓練を中心に行っています。軽快な音楽に合わせ、気持ちよくリハビリを行えます。

音楽
懐メロや唱歌、季節に合った曲などを歌ったり合奏したりと、とてもにぎやかに行っています。日頃無口な方も、この時間だけは自然と歌が飛び出してしまう事があるようです。

社会(回想法)
懐かしい映像や題材をもとに、お元気だった頃を思い出していただく、とても人気の高い授業です。ここでは私たちスタッフではなく、お客様が先生です。

家庭科
簡単な調理等を行っています。特に女性のお客様には大人気で、「若い人には負けないわよ」と言わんばかりの活躍ぶりに、スタッフはあまり出る幕がありません。

おとなの学校では、くもん学習療法や社会・体操などの授業以外にも部活動があり、多くのお客様がいきいきと才能を発揮されています。

合唱部
合唱部の部員は現在15名前後。2名の先生の指導で毎月2回練習を続けており、各種地域のイベントなどにも参加・熱唱しています。「あっという間に時間が過ぎる」「歌うと楽しくてスッキリ!」とコーラスの魅力にはまっています。

太鼓部
太鼓部はぎんなん保育園の園児さんや卒園生のバチさばきに感動して発足しました。4〜5名の部員は地道な稽古を続け、毎年秋の「尾ノ上まつり」では、本校スタッフや、ぎんなん保育園の先生・卒業生など総勢40〜50名のチームで参加し、大きな拍手を浴びています。

料理研究部
料理研究部では毎月3回、通所の生徒(お客様)が集まり、スタッフのサポートで「ここちゃんクッキー」や「ここちゃん饅頭」などを手作り。

作業が始まると「粉を練るのは私が」「私は皮をのばすけん、あなたはあんこを丸めて」などと仲良く分担。クッキーは毎週土曜、錦ヶ丘コミュニティセンターで行われる朝市でも販売しています。

応援部
体育の授業から発展した応援団。【おとなの学校】合同大運動会では学ラン姿で登場し、元気な声で紅白両チームにエールを送りました。部員は「まだまだ青春」「今が最高!」をモットーに、さらに練習に励んでいます。

学ぶことは、生きがいにつながると確信する実践です。



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2010年09月23日

週刊モーニングに掲載されました!



今週の週刊モーニング(2010 No.43)の「ひとりごはんの背中」に掲載して頂きました。
「千字じゃ語れない山下洋輔さんの教育哲学」と題したイラストつきの文章です。
教育コンサルタントにいたる経緯など、しっかり書いて頂きました。
おもしろおかしく書かれるのが当然と思っていたら、予想外によく書いて頂き、嬉しいです。

後輩がモーニングの編集者で、モニターとして意見や感想のインタビューをうけたことがありました。その時に、編集者のキサラヅさんと出会い、ひとりごはんの依頼を受けることになりました。

自宅で、飲み食いしながら、楽しくお話できました。
これをきっかけに、文章とイラストを書いて頂いた能町みね子さんの「お家賃ですけど」を読みましたし、編集者のキサラヅさんとも飲みに行きましたし、素敵な出会いが生まれました。

人と人とのご縁は、大切にしていきたいものです。

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2010年08月05日

2010年プロボノ元年

プロボノ」という言葉をご存知ですか?
プロボノとは、「プロ・ボノ・プブリコ」に由来します。
社会的・公共的な目的な目的のために、職業上のスキルを活かすボランティア活動のことを意味します。

今日、かわさき市民活動センターで、働く人とNPOを橋渡しするNPO法人岡本祥公子さんのお話を聴いてきました。

「米国の弁護士会で盛んになり、日本でも第二東京弁護士会が会員に社会貢献を義務づけた。それが法曹界から一般企業で働く人々にも広がってきた。仕事で身につけた経理、情報技術(IT)、広報、営業・市場調査、デザインなどの知識や技能を使ってNPOの経営などを助ける。
(中略)
社員のプロボノは企業にも利点が大きい。長い目で重要なのが社員の創造性や積極性を高める効果だ。知識は使えば使うほど磨かれる。プロボノで持ち前の能力を本業とは全く違う課題にぶつければ、発想の幅は確実に広がる。人材を育てる近道であり、資金や休暇取得などで優遇してでも推奨すべきだろう。さらに彼らの仕事ぶりや生き方をヒントにして、働きがいと創造性あふれる職場を作ることが経営者の使命になるのではないか。」朝日新聞2010年7月26日

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柏まちなかカレッジでも、教員、ライター、ネットショップ経営者、不動産業、行政、コンサルタントなど、スタッフのスキルを活かしながら活動しています。
この夏にも、公認会計士の仲間が、外部監査を引き受けてくれました。
まさに、プロボノです。

今、柏まちなかカレッジの会議では、まちなかでの講座や会議の様子などを映像化していきたいという話が出てきました。

そこで、柏まちなかカレッジでは、撮影・映像編集に関わるスキルを持っている方の参加を募集しています!
その他、私たちの思いつかない特技で、柏まちなかカレッジを盛上げてくださる方の参加も大歓迎です。
ぜひ、気軽に以下のメールにご連絡いただけると嬉しいです。
mail    y@ryokuyo.org

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2010年06月23日

デンマークのフォルケホイスコーレと民主主義

サッカーのワールドカップ、いよいよデンマークとの試合です。
その前に、デンマークのことを予習してみましょう。 
特に、サッカーから、教育を考えるのも面白いです。
ワールドカップをきっかけに他国を知る。
それも一つのワールドカップの味わい方ですね。

デンマークのフォルケホイスコーレと民主主義


南アフリカで開催されるサッカーのワールドカップで、日本と同じEグループのデンマーク。この国のサッカーは、「ダニッシュ・ダイナマイト」と呼ばれ、古くから強豪として知られていた。1992年の欧州選手権では、ユーゴスラビアの出場資格取消しのため繰上げ出場し、優勝を果たしている。実は、予選敗退したデンマーク代表は、バカンスに出かけていた選手が多く、十分な準備ができないまま臨んだ大会だったという。

【デンマークの魅力】

 デンマークに留学経験のある後輩が、「デンマークでは、仕事は5時で終わります」と目を輝かせて語ってくれた。家族で夕飯を囲み、ゆったりと一緒に時間を過ごし、語り合う時間・空間が大切にされている。一般人が、セカンドハウスやヨットを所有するのは一般的で、個人の時間を楽しんでいる。出産のために1年間の有給休暇があり、女性の就業率は世界トップクラスである。経済力は強く、国民一人あたりのGNPは世界一である。失業率は低く、子どもの自立も早い。


 福祉が充実しているが、これは国民の支持があって実現している。福祉サービスの低下を懸念し、減税の法案が反対される。税は、自己申告制だが、ごまかさないのが普通である。投票率は、90%以上。地方議員は、他に職を持つボランティアである。


【デンマークの教育】

 
PISAの調査では、デンマークの学力は低かった。しかし、教師は、学力よりも、目に見えない人間形成が第一と考えている。このように、試験は重視されておらず、小学校の中学年まで試験はない。


デンマークの教育は、一人ひとりを大切にする。社会制度として、学級少人数制、学費無料、親が学校を作る権利、その他の公的な保障が充実している。一人ひとりの違いを受け入れ、のんびり学んでいく。


個を重んじ、自由な校風の学校では、生徒指導ができないのでは?日本の教育者の疑問に答えるため、私の友人がデンマークのある義務教育学校で聞いた校長の話を紹介したい。


いじめ対策では、「いじめないゾーン」というメッセージの書かれたTシャツを着て、750人が手をつなぎ、市長と面会。市長、校長、生徒代表、教員が立会い、「いじめをしない」と宣言した。同時に、研修を開き、専門家も招く取組みも行っている。教師は、いじめのない環境づくりを整えている。


授業の進行を妨げる生徒には、教員が繰り返し注意し、それでも聞き入れられない場合は校長が指導する。生徒が授業を妨害する理由や生徒を取り巻く環境の問題について一緒に考える。対話によって、解決法を導く。保護者を呼ぶなど、あくまで対話を重視する。生徒指導は、行動に対する批判であり、生徒の人格に対するものではないという考えだ。


これらは、訪問先の校長の経験であり、学校によって方針は多様である。ただ、教育の考えがブレていない、という点で共通している。

フォルケホイスコーレグルントヴィ


 デンマークの教育には、グルントヴィの思想と彼が提唱したフォルケホイスコーレが背景にあると指摘したい。フォルケホイスコーレとは、民衆の学校と訳すことができる。語学や農業技術、デザインや音楽、演劇のワークショップなど多様な科目が用意されている。期間は、数週間から
1年間と学校によって違う。試験はなく、学位や資格も与えない。全寮制であり、寝食、勉強、余暇時間をともにし、人間形成と社会的な能力を身につけることを目的としている。私も、日本の教員として、生徒ともに寮生活を送った経験があるが、民主的なプロセスや人間関係など社会的能力はもちろん、人間的な成長を楽しみにしていたことを思い出す。


 宗教革命後、宗教に代わって人々を結び付けたのは「国民」という考えであった。詩人であり歴史家でもあるグルントヴィは、デンマーク国民の形成をフォルケホイスコーレの目的にすえた。カリキュラムでは、民主主義的思想とともに、デンマーク語、ことわざ、詩歌、童話や伝承を学習し、国民の意識を促進した。

この学校は、農民解放運動に支持されて、デンマーク中に広まった。地方の農民たちは、この学校で、社会意識に目覚め、政権交代の原動力となった。デンマークが豊かで、民主主義が浸透し、社会福祉が整い、弱者に優しい国になったのも、この学校によるところが大きい。そこで、グルントヴィは、近代デンマークの父と呼ばれている。

フォルケホイスコーレから学ぶこと】

 フォルケホイスコーレは、移民、途上国との連携、地域共同体、進路支援、環境問題など、現代的課題へのヒントを投げかけている。


 他者との生きた言葉のコミュニケーションを大切にしたグルントヴィの思想は、自然と人間、民族や階級の対立に有効である。移民の増加に対しては、言語や生活・文化の学習の場としての役割が期待される。途上国には、学校の民主的運営や地域の自立を伝えてきた。自分との対話という意味で、悩みや人生を考える場ともなる。地域コミュニティが崩壊した現在、新たなコミュニティを築いている。

(山下洋輔)


以下、『BE−COM 3月号 vol.207』(2010.3.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より



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2010年06月17日

学ぶのに遅いなんて、ない。−87歳で受験

それぞれの親や祖父母の話題で話していた時、
興味深い話が出ましたのでご紹介いたします。

「私の父は、87歳で、危険物乙種第4類を受験し、合格しました。」

その場に居合わせた女性が、教えてくださいました。
詳しく、お話をお聞きしてみると、仕事で必要に迫られているわけではなく、
高齢者でもやればできるんだ」ということを示したかったとのことです。

危険物の資格といえば、まさに役に立つ実学。
受験者は、仕事や就職など、必要があって受験される方が多いと思います。
役立つかどうかよりも、学びたいから学ぶ。
景気の悪い今日、目先の効果を考えて学んでしまいがちですが、
大切なことを教わりました。

学ぶことが生きがいにつながっている。
そんなことを実感させられるエピソードでした。



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2010年06月16日

日立台を楽しむ−6月13日ヴィラヴァンツ北九州戦

6月13日(日) 対 ギラヴァンツ北九州 戦(J2第17節最終日)
2−0(工藤壮人選手の2ゴール)で柏レイソルの勝利。

6連勝、負けなしで中断期を迎えます。

CIMG1098

日立台で応援してきました。
手拍子・太鼓のビート、トランペットの音、
そして何よりも人の声が響きます。

応援歌の完成度に驚かされます。
(勇)太陽工務店のサイトで、
レイソルの選手の応援歌(チャント)が聞けますので、要チェックです。
http://www.hitachidai.net/call/call.htm
 
CIMG1089

ベンチからゲームに指示を出し、応援しているフリの写真です。

今回は、後援会のおはからいで村上選手と菅沼選手との交流会、
ピッチ脇に入らせていただき練習を見学させてもらいました。

CIMG1081

グランドに立つ前の山下選手になったつもりです。

CIMG1087
スタンドからの声援に応える山下選手

キャプテン翼を読んで育ち、サッカーをして過ごした小学生時代。
サッカー選手にはなれませんでしたが、
選手のマネをするなど夢をみさせてもらいました。
後援会のみなさま、ありがとうございました。

レイソル後援会では、個人会員も法人会員も募集しています。
http://park18.wakwak.com/~reysol-kouenkai/


今年は、J2での記録を塗り替えまくってほしいですね。

以下、「 」内、まちなか生活向上委員会ブログより。
「どうやら、J2の無敗記録は17戦だそうです。中断明けの横浜FC戦が、その日。もし、引分以上でしたら、新記録は7月25日のジェフ戦。千葉ダービーが新記録樹立の日になるかどうか。
 奇しくも25日は、柏まつり2日目です。駅周辺は普段でも異常な盛り上がりとなるのに、新記録樹立しちゃったら黄色い人たちがさらに盛り上げてしまうことでしょう。」

http://sunnyside-farm.seesaa.net/?1276565119


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2010年05月26日

まちかどでのキャリアカウンセリング

今日、教え子から電話があった。
教員採用試験の願書の提出の相談だ。
志望動機には、担任の先生のようになりたくて、
といった内容が書かれており、格別に嬉しい。

最後に担任した学年は、進学していれば、今が大学4年生。
昨年末あたりから、相談や報告をくれる人がくるようになっていた。

就活の相談に答える際に心がけていることがある。
・こちらの経験を語りすぎないこと。
・採用側の立場で考えさせること。
・どんな生き方をしたいのかを確認すること。

びびったり、採用されるために卑屈になったりしないよう
後押しできればと願っている。
あと、過酷な就職活動で、本来の目的を見失わないよう
見守っていくことができればとも思う。

そんなことに気をつけながら、
極力こちらから話さず、自分自身で解決に進めるよう話を聴いている。
必要があれば、こちらの持っている情報を後でメールしたりするくらい。
本人の持っている良さを引出せるよう演出するつもりで聴く。

先日は、4月から勤め始めた後輩から相談・報告を受けた。
苦労や困難があるが、やはり解決するのは本人。
解決策を伝えたり、なぐさめたりはしないようにしている。
私は、ただ応援するしかできない。
でも、「私は、あなたのことを認めているよ」
というメッセージを送りながら、話を聴く。

相談を受けるというのは、教育の機会なわけなので、
やはり、「辛抱強く待つ」という姿勢が必要と考えている。


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2010年05月08日

地域の経済発展と住民の思い−マカオの旅で感じたこと

「まちが寂れると、物理的に困る。
でも、まちが栄えたからといって、住んでいる者は喜べない。
昔のまちが良かった。」
こんな声をマカオで、よく耳にしました。
この話を、帰ってきてからも考え続けていました。

私は、イエズス会宣教師の書簡を史料に歴史研究をしていました。
ですから、マカオは、一度は訪ねたい場所でした。
マカオの友達が大学を卒業し、ロンドンへ留学する前に、
思い切って行くことにしました。

飛行場に迎えに来てくれた旅行会社の方から、
マカオの情報を教えて頂きました。
カジノについて、一生懸命語ってくれました。
CIMG0352

マカオの人口は約55万人。
広さは30平方km弱(埋め立てによって増えた)。
資源もない小さな島だけど、一人当たりのGDPは日本と同等。
税収の約7割はカジノです。
カジノのお陰で、雇用が創出され、社会福祉も充実しました。
学校教育の授業料は15年間無償です。
高校生以下、65歳以上、妊娠出産の人は医療費無料です。
医療保険はないですが、年末に一律にお金が給付されます。
健康に過ごせれば、そのお金はお小遣いのようなもの。
太極拳や公園の運動器具を使って、健康を維持するなど、
予防医療に力が入るそうです。

一方で、変わりゆくまちへの寂しさや経済発展へ疑問を投げかける声を聞きました。

海の景色や古い町並みが消え、
若者の生活は乱れてしまったと私の友達は嘆きます。
CIMG0190
この写真は、聖パウロ学習院教会(大三把)の隣にあるお寺。
この壁は、外的から守るための防壁だったそうです。
つまり、ここから先は海だったのです。
「つい10年ほど前には海はあそこまであった」
近くの砲台から、昔の景色を説明してもらいました。

黒沙海灘は、黒土のビーチです。
しかし、現在のビーチは埋め立てなので、
黒土は他所から運び込んできているそうです。
CIMG0328

祖父の家が近くにあり、よく遊んだこと。
小さな商店があり、小さい妹がよく手伝いをしていたこと。
小さい頃、父と人力車に乗せてもらったこと。
いつも家族でアンドリューおじさんのエッグタルトを食べること。

CIMG0305

家族や友人との思い出が、場所と密接に関わっています。

今、失われつつある景色とそれに結びつく思い出を
大切にしようとする機運を感じます。

これは博物館で買った写真集です。

CIMG0376

こちらは、マカオの今昔を伝えるシリーズが出版されています。
一般の書店で買いました。
CIMG0377

マカオ政府も、カジノのイメージだけではなく、
歴史と文化遺産のまちをPRしたいと友人は語っていました。

まちなみが消えていくことは、
住んでいる人たちの記憶も消えていくことになります。
個人的な記憶だけではなく、
家族・親戚や近所の人、友達、仕事仲間、・・・
地域の共同体とともに積み重ねた社会的な記憶でもあります。

そんな住んでいる人の思い出・記憶を大切にしていく。
マカオは、その段階に来ています。
日本でも、『まちづくりのオーラル・ヒストリー』という本で、
住んでいる人々の記憶を資源としたまちづくり実践が報告されています。

これからは、目に見えない豊かさも考慮されると実感しました。

今、私は、生活している方々の記憶を資源として、
アーカイーブ化し、教育やまちづくりに活かすための
「おばあちゃんの知恵袋」プロジェクトの取り組みを始めています。

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2010年03月27日

イギリスのコーヒーハウス、フランスのカフェ、そして・・・。

サクラを待ち望み、希望あふれるこの季節。
4月はじめ、もうすぐですね。

つい先日、知り合いから教わり、山納洋さんが著された
『人と人とが出会う場の作り方 コモンカフェ』を読みました。
百聞は一見にしかず。
大阪(中崎町)にあるコモンカフェに行ってきます。

今、人とのつながりや出会い、コミュニティといったものが、
大切にされていると感じます。
そんな中、3月11日の日経新聞夕刊に興味深い記事がありました。

柏まちなかカレッジ副学長の福島先生にも、電話でお知らせました。
話し合っていることが、現実に起こってきている。
まさに、そんな感じでした。

WEB上でも見かけたので、紹介いたします。

社会人、なぜか各地で茶話会の輪、
ゆるい対話が心地いい、人とつながる魅力(生活)


【仕事・お酒抜き】

 お茶だけでゆっくり対話する社会人の「ゆるいコミュニケーション」が広がっている。喫茶店でのおしゃべり会や哲学論議の輪。参加者は会社の枠にとらわれず自由に語り合う。ビジネス上の目的はなく、出入り自由な拘束力の弱い交流。今なぜ「ゆるコミ」に彼らはひかれるのか。

 「喫茶の会」というおしゃべり会が東京を中心に数を増やしている。2008年1月にJR恵比寿駅(渋谷区)近くで「恵比寿喫茶の会」がスタートしたのを皮切りに、地名を冠した同様の会が汐留、目黒、大崎さらには京都市など全国約40カ所に広がった。これまでの参加人数はのべ3000人を超えた。

 旗振り役はネット市場調査のコンサルタントをしている新井潤さん(55)と企画・デザイン会社を経営する星僚太郎さん(37)だ。

 恵比寿喫茶の会で知り合った2人は遊び心から「全国喫茶の会」をつくった。新井さんが会長、星さんが事務局長となり開催希望者を募った。
(1)月1回、決まった喫茶店で定例会をする(2)参加人数は10人程度(3)お酒はなし。お茶をしながら会話を楽しむ――など同会のルールを守る人をリーダー役の喫茶長に“任命”。会のロゴ入り名刺も配った。

 会に集まるのは男女ともに30代が中心。起業家や営業の仕事をしている会社員、出版関係者らが目立つ。

 おしゃべりのテーマは特に決めない。例えば2月末の平日夜に開かれた「浅草喫茶の会」。「この人は歴史にすごく詳しいんです」「エー、私も興味がある」。名刺交換をしながら、ひとしきり趣味の話題で盛り上がった。仕事の話より、人柄がわかる会話に興味を持つ参加者が多いようだ。

□  ■  □
 喫茶の会はなぜ増えたか。星さんは「お茶だけという特徴が人を引きつけた」とみる。よくある異業種交流会はアルコールが入ると盛り上がりすぎて、騒がしい。参加費も3千〜5千円。酒を好まない人は参加に覚悟が必要ともいう。

 だが、喫茶の会の費用は1人200円の参加費とコーヒー代。それが参加しやすさ、友人の誘いやすさにつながると星さんはみる。

 ネット上で見つけ、会に顔を出した生命保険会社の男性(28)は「仕事以外の場で、いろんな人と知り合う機会はこれまでなかった」と話した。不況で人脈や知人を求める気持ちは強まるが、普通に過ごしていては人間関係が築きにくい。だからこそコーヒー1杯を仲立ちにした出会いに期待をかけるのかもしれない。

 関西では哲学カフェという集まりが活発だ。毎月大阪や神戸の喫茶店など何カ所かで開かれている。フランスの哲学者がパリのカフェで、日常生活に役立つ哲学をめざして開いた対話の会が始まりだという。

 大阪大学の大学院にいた00年から「カフェフィロ」というグループに参加、哲学カフェにかかわった明治学院大学の寺田俊郎准教授は02年から東京でも哲学カフェを主宰している。「自由とは何か」など、ふだんは立ち止まって考えることがないテーマを論じ合う。こちらの参加者は学生から年配者まで多様だ。

□  ■  □
 直近の1月例会では東京都千代田区の喫茶店に30人が集まった。テーマは「募金に応じるのは偽善か」。「議論が盛り上がり、次の会では『偽善は悪いことか』を話し合うことになった」。寺田准教授は喫茶の会の広がりと、哲学カフェには共通点があると分析する。

 出入り自由で、喫茶店というくつろいだ雰囲気の場所を選んでいること。参加者間に直接の利害関係がない。最も重要な点は、明確な目標や達成課題を掲げていないことだという。

 ビジネス上の成果を急ぐ異業種交流や同好の士の集いとちがい「何かを目的とした集まりではない。だから互いの発想を掘り起こし、耕すような感じの会話が生まれる。それが緩いコミュニケーションになる」(寺田准教授)。

 会社人生に変化をもたらしたいという願望は強い。東京の会社員、原田弓子さん(38)は勤続18年。夜はお酒とカラオケ、自宅ではテレビばかり見る生活に嫌気がさして横のつながりを求めた。ちょうど離婚も重なった。09年から月に1回、友人らに呼びかけて土曜のランチ会を始めた。職場近くの喫茶の会にも参加した。人と話すと生きている実感がわくという。そんな状況が多様なコミュニケーションの場を生む背景にもなっているようだ。
(編集委員 須貝道雄)

【心の“よろい”脱いで】
 喫茶やカフェのリラックス作用。そこに着目した「ワールドカフェ」という米国発の会議手法がある。カフェのような場で対話をすると、より創造的な発想が生まれるとして、最近は企業や地域活動でも活用されている。09年11月にはコンサルタント会社など18団体が参加して東京、大阪などでイベント「ワールド・カフェ・ウィーク2009」が展開された。

 実行委員会の代表を務めた大前みどりさんは企業の教育ビデオなどを手掛ける映像制作者。各種の研修の現場などで感じるのは「多くのビジネスパーソンが武器を携え、よろいをまとった姿」と語る。競争・成果主義の強まりで「他人からの評価を必要以上に恐れ、自分の意見をストレートに表明する人が少ない」。

 数人のグループに分かれて席替えをしながら、一つのテーマを自由に語り合うワールドカフェは「よろい」を脱がせる効果があるという。これも「ゆるコミ」がもたらす一つの変化といえそうだ。

【図・写真】コーヒーを飲みながら情報交換する「恵比寿喫茶の会」のメンバー(東京都渋谷区の恵比寿三越パパスカフェ)



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2010年03月16日

郵便局の窓口で学んだ心の余裕

年度末のせいか、郵便局の窓口は大忙し。

次から次へと、訪れる人に対応しています。
中にはトンチンカンなことを言ってくる人もいるでしょう。
待っている人の中には、イライラしている人もいます。
そんな中、私はプロの仕事に出会い、学ばせて頂きました。

前回は土浦で行っていた車検を柏で行うために、
土浦での住所を証明しなければならず、
鹿児島の役所に戸籍を請求するために
郵便小為替を求めてやって来たのです。

自分の番号が呼ばれ、記入した用紙を渡しました。
窓口の男性には、無駄な動きはありません。
金額が提示され、郵便小為替を準備してもらいます。

その間、ほんの1分にも満たない間でしたが、
こんなやりとりがありました。

「戸籍を請求するために、役所に送るものは、
郵便小為替で大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。」

「住んだことのない本籍地で
自分の住所を証明してもらうのって変な感じですね。」

「そういう人は、よくいらっしゃいますね。
皇居に籍を移す人もいるみたいですよ。」

準備が終わり、お金を支払い、窓口を後にしました。
笑顔でテキパキと対応して頂き、面白いお話も聞くことができました。

実を言うと、手続きが面倒だと、役所の仕組みに不満を持っていました。
そんな不満を吹き飛ばして、爽やかな気持ちにして頂きました。

この話を、早速、知り合いにお話しました。
その知り合いのコメントも面白かったので、紹介します。
「忙殺されていませんね。心を亡くしていない。」

そして、あるお坊さんから聞いた話を教えてくれました。

虎に追われ、崖に追い詰められる。
崖の下にも虎がいる。
追い詰められた崖っぷちに、木の実がなっている。
その木の実を食べると、おいしかった。

その状況で、木の実を味わえる心の余裕が大切とのこと。

忙しくて、切羽詰りそうになったら、
今日の郵便局の窓口の方と、
虎に追い詰められたときの話を思い出すことにします。

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2010年03月06日

東葛飾高校の卒業式で。

本当に嬉しいお知らせを頂きました。

今日は、東葛飾高校の卒業式。
その校長先生から卒業生へのお話の中で、
卒業生の活躍を紹介されたそうです。

その卒業生というのが、何と私とのこと。
柏まちカレの活動を紹介して下さりました。

思えば、14年前、私も東葛飾高校を卒業しました。
自由な校風な高校は、全国にもたくさんあります。
そんな学校の中でも、東葛飾高校は独特です。

友達に出身校を説明する時に、1番インパクトがあるのが卒業式です。
制服がないので、卒業生みんなバラバラの服装です。
普通は、おしゃれなスーツやドレス、羽織袴、女学生の袴、振袖などです。
しかし、なかにはコスプレみたいな方もいました。色々いたので書ききれませんが、ヴェルサイユのバラのアンドレやオスカルみたいな人、修道女、バレーの女性の衣装に白鳥を腰にあしらった男性、侍、きぐるみ、寒いのにチャイナドレスの女性、ルパン3世など、見ていて面白かったです。

呼名の後、クラスで1名が代表して卒業証書を校長先生から授与されます。
そこが見せ場です。
ギターを携え感謝の歌を自作自演したり、書道で感謝の言葉を表現したり、クラス全員で合唱したり、謝ったり。
寿司職人になるのが夢と、その場で握って校長・教頭先生に食べさせた人もいました。おいしいか微妙ですし、時間がかかったなぁと見ていました。
時間がかかり、一見ふざけていますが、心を打つメッセージや素晴らしい歌もあり、この学校でよかったなぁとしみじみ思いました。
「アメージンググレイス歌った人はすごかったな」や「Can you celeblate?って安室ちゃんの歌を中途半端に歌った生徒に、yes, I canと教頭先生が答えてくれて助かったよ」と、参列してくれた親も覚えてくれています。

高校では朝礼はなく、行事運営も生徒主体の形だったので、
校長先生のお話も短いものでした。
校長先生のお話をしっかり聴けるのは卒業式くらいだったと記憶しています。
特に、卒業式のお話は重要度が高いもの。
その話の中に、私のことも選んで頂けて、感激しています。


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2010年03月02日

ネットワーク作りの基本

2月末、マカオに行っておりました。

世界中の大学の方と友好を結ぶ機会はありますが、
大切なのはその友好を維持することです。
メールなど便利な道具はありますが、
1番の基本は会うことですね。

台湾の淡江大学に、マカオ出身の友人がいます。
私は大学院でキリシタンの歴史を研究していたので、
いつかマカオを訪問したいという思いを抱いておりました。
マカオの友人は、卒業したらイギリスに留学する予定というので、
その前に研究会の仲間とマカオに旅立ったのです。

せっかくなので、マカオ大学とも友好を結んで帰ろうということで、
マカオ大学を訪問しました。
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大学の国際交流センターや留学生センターみたいな部署を探しました。
しかし、見つかりません。学長室も伺いましたが、入れ違い。

とりあえず、学食を食べたり、授業をのぞいたり、図書館を見学したり。
そんな中で、サークルの勧誘の学生に出会いました。
「短兵」といってスポーツチャンバラ部です。
部長は体育会連盟の常務理事でもあります。
私は、剣道部出身なので、剣道談義に花がCIMG0079咲きました。















あとでマカオの友人に聞くところによると、
マカオ大学では日本文化のイベントを開いているそうです。
私たちが出会った体育会の学生を通して、
何かしらイベントへの協力依頼が来るかもしれないね、と話しました。
その後も、街で出会ったマカオ大学の学生ともメールをやり取りするようになり、
小さいながらマカオとのつながりはできてきました。

今回、マカオとのネットワークを築こうと、
大学の国際交流センターなどとの関係構築を考えました。
大人になってきたのか、今まで旅で築いてきた方法を忘れてしまっていました。

人間関係、やはり基本は、個人と個人です。
一人の友人と心を開いて語り合う。
そんな人間関係を、1つ1つ積み重ねていくだけです。

そんなことを再確認した旅でもありました。



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2010年02月16日

「断面の世代 」by 束芋

日本経済新聞・土曜夕刊の「芸文余話」を楽しみにしています。
2010年2月13日の記事、「断面の世代、その心は」をご紹介します。

1975年生まれのアーティスト・束芋さんは、
70年代生まれの自分たちを「断面世代」と呼びました。

「70年代生まれの私たちは、いわば太巻きの一切れ。卵焼きやかんぴょうといった確かな部分ではないけれど、薄く切った断面にはすべてがある。ペラペラな存在でしかなくても、すべてを見通せる断面でありたい」

氷河期世代、貧乏くじ世代といった表現ではなく、強い意志が感じられて、グッときました。

「この個だけは守り抜く。断面の世代の表現には、そんな決意を感じる。『私たちは個に執着し、どんな小さな差異にも丁寧にスポットライトを当てる』(束芋)」

私の自分史研究の原点も、この断面の世代の表現に通じるものがあります。
生活者一人ひとりの歴史を大切にする「自分史」。
個に執着した結果であります。

このような考えを基礎に構想した柏まちなかカレッジは、
有名ではない一人ひとりの経験を尊重して、スポットライトを当てています。
だからこそ、「断面の世代」の方々に支持して頂ける面もあるのかと実感しました。

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2010年02月11日

柏駅前通商店街のキュルキュル音

夜、柏駅前通り商店街を歩いていると、
キュルキュルという音が反響していました。
近隣の方が、それをうるさいと嘆き、
市役所やマンションの管理の方に、うったえていました。

一昨日の夜から、その音がなくなりました。

いろいろな方々が、動いてくださったようで、
おそらく解決したのではないかと思われます。
 
柏のまちで、みんなの知らない問題を知り、
みんなの知らないうちに解決されていく過程に触れることができました。
何ともないことですが、安倍晴明が妖怪から都を守ったり、
ヒーローが陰の帝国の侵略を阻止するかのようでした。

くだらない話はさておき、近隣の知人が気づき、
私がそのことを言って歩き、
それを聞いて下さった方々が話題にし、調査し、働きかけ、
具体的な解決にいたったことは、すごいことではないでしょうか。
おおげさに言うと、騒音問題を解決したわけですよね。

この解決にはインターネットも、ましてやパンフレットも使っていません。
行政や裁判所も関わっていません。
人の善意の輪が広がって、一つの問題が解決しました。
社会のためというと難しく思えますが、
少しでも地域が良くなってほしいという姿勢で、
小さな行動を積み重ねていくと、良くなるんですね。

それを実感した、キュルキュル音事件解決でした。

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2010年02月10日

柏の記憶

今日、久々に柏駅西口を歩きました。
立派に高島屋の新館が建っていて綺麗ですね。

ふと、この工事中のことや、以前の駐車場のことを思い出しました。
以前、ここの工事中のことを書いた文章があったので、
ここで紹介させて頂きます。
****************************
高島屋工事









いつも気になる人だかりがあります。
きっと、柏の隠れ名所です。
休日の日は、子ども連れも多く見られます。
何が面白いのかよくわかりませんでした。

今日は、平日の昼間ですいています。
自分もポジションを確保できたので、少しだけ、みんなの視線の方向を眺めてみました。
きっと、俺も好きな人だと見られていたでしょうね。
写メまで撮っていますし。

隣のおじさんたちの雰囲気から、変わっていく柏の街への郷愁が伝わってきました。
建て替わる建物を見て、時代の移り変わりを感じます。
壊れていく建物を見て、無常を感じます。

「あの辺りに、よく駐輪したなぁ。」
「あの駐車場で、弟が車ぶつけたなぁ。」
こんな記憶を自分でさえ持っています。
おじさんたちは、どんな思いで見ているのか考えてしまいます。

きっと、子どもに見させる親も、無言で自分の生きた時代を語っているのかもしれません。
あの工事現場ウォッチングの人だかりは、歴史の目撃者たちだったのです。
柏の記憶
大げさに書いてしまいました。
でも、本当に不思議な人だかりですよ。

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2010年02月09日

柏LIFEのにゃんこさんがブログを始めた理由に感動して。

2月6日の柏まちカレの講座は、柏ライフのにゃんこさんを先生にお迎えしました。

柏LIFEのブログのきっかけは、柏の街の変遷が速いために記録をきちんと残しておきたかったことだそうです。

このお話を伝え聞き、柏LIFEの素晴らしさが腑に落ちました。
昨日も、66のできる前からの変遷が書かれたページを拝見し、
忘れてしまっていた土地の記憶がよみがえってきたのを覚えています。

歴史を学び、研究し、伝えていくことは、私の使命と思っています。
特に、偉い人ばかりではなく、一生懸命な一般人の歴史を伝えていきたいのです。
ともすれば、忘れられてしまう歴史。
でも、そんな歴史の中にも、ドラマがあります。

柏まちカレのコンセプトも、そういう普通の方々の経験を、みんなで共有していこうという考えから生まれています。

柏LIFEは、私たちの柏の記憶のアーカイーブの役割を果たしてくださっているのですね。
一市民が、ブログの力を借りて、移り変わる柏の文化遺産をとどめるということに勇気付けられています。
にゃんこ先生、これからも楽しく拝見させて頂きます。


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2010年02月07日

子連れ銭湯

日本経済新聞2月3日夕刊「温故知新のエコライフ」に銭湯についてのエッセイが掲載されていました。

こんなことが書かれていました。

友人に子連れ銭湯にはまっている友人がいる。
幼い息子は、あちこちのおばあちゃんたちから声をかけられ、アイドル状態。
自然と、みなさんが、息子の面倒をみてくれる。
朝から晩まで子育てに追われていた友人は、銭湯でのんびり、お風呂に入れると笑顔である。
また、週末に家族で銭湯に行く友人は、息子2人とご主人が男湯に。
友人は、銭湯の時間はのんびりと極楽を味わえるとのこと。

銭湯は、入浴マナーを教わる格好の場。
体は湯船につかる前に洗う、タオルを湯船につけない、湯船に入る前に髪を結ぶ、体を拭いてから出る、などなど銭湯では自然に身につくものである。

昔から地域の社交場であった銭湯。
子連れ銭湯で、年配の方々のお力をお借りしやすい状況が生まれます。

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2010年02月04日

柏の銭湯、旭湯。

sentogaikansentoiriguchi



















sentouchi











柏駅前通商店街のマクドナルドを曲がると、いつも気になる銭湯。旭湯。

目立たないたたずまいながら、木を燃やすにおいで、存在感はあります。

 

運命のすれ違いからか、たまたま定休日であったり、夜10時を過ぎてしまったりして、何度かチャンスを逃していました。やっと、今日は、ゆっくり入れました。

 

外観は、目立たないですが、中は銭湯らしい銭湯です。

脱衣場は、板張り、余計なものがなくの清々しい空間。

浴場は、真ん中の列の洗い場は向かい合わせで、鏡はなく、
低く、すっきりしています。

タイルには富士山を眺める松の海岸。上のキャンバスは、水色一色。

そして、高い天井が気持ちいいです。

大物を育てるには、天井を高くせよ、といった教えを思い出します。

お湯は、熱め。銭湯に来た甲斐があります。

 

以前から通っていた向原(東葛飾高校正門前)の藤の湯がなくなってしまいました。

東口に引っ越し、久々に藤の湯の跡を通ると、
「いつか忘れてしまうのかなぁ」と切なくなります。

柏まちカレの徳永さんから紹介いただいた本『銭湯遺産』が気に入り、

自分でも銭湯をまわろうと思っています。

まずは、近所の旭湯からスタートです。



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2010年02月01日

柏まちカレメンバーの活躍

柏まちなかカレッジは、立上げ当初、誰がやっていて、どんな団体か?
得体の知れないという声に応えるため、学長として私が前面に出て、顔を見せてきました。
お陰様で、朝日新聞や地域新聞などにも顔写真を掲載して頂き、まちの方々からも少しずつ知っていただけるようになりました。

これからは、少しずつメンバーの紹介をしていきたいと考えています。
副学長福島さん、事務局長の松清さんは、柏まちカレへの参加前からご活躍の人物です。
私が嬉しいのは、柏まちカレで生活が輝いてきたと言ってくださるメンバー達です。
まちカレカフェを取り仕切った総務主任・徳永幸一郎さんは、講座企画から合宿の手配まで、縦横無尽のな働きで活動を支えています。
全員で10名ほどで、心強い限りです。

先日、たまたま夜にメンバーの方とカフェでお話しました。
東京で勤めている柏在住のサラリーマン杉浦俊さんです。
会社勤めとは違う顔があるといって、充実した人生を送っている素晴らしさを語ってもらいました。
柏まちカレでは、文化祭主任として、いろいろと準備を進めて頂いています。福祉関係の活動や、こまめにお店をまわっていたり、助けられています。今まで遠慮がちな活動から、思い切った活動に移っていきそうで楽しみです。

仕事を持ちながら、柏まちカレに関わり、日々の生活を充実させていっている様子が伝わってきます。この輪を、少しずつ、拡げていきたいと願うところです。

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2010年01月31日

自分史活動へのメッセージ

自分史研究および自分史教室へのメッセージを頂きました。
ご紹介いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

社会のシステム化の拡大やインターネットの普及による情報化社会に代表される「大きな文脈」に対して、それに取り込まれないための工夫。
 
もしかすると自分一人にしか通用しない「小さな文脈」としての自分史。
自分の人生が大きな物語に回収されない。
ただひそやかに「自分」でありさえすればいい。
自分史研究のあり方はそのことを伝えると思われます。
  


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2009年12月31日

ある美容師の草の根教育活動

大晦日、何となく身だしなみを整えたい気持ちになり、いつもの美容室で髪を切って頂きました。
高校生の頃から15年くらいお世話になっています。

大晦日といえば、家族団らん。
普段は、なかなか家族のコミュニケーションがとれないものです。
そんな現実をふまえて、その美容師さんは親が子の髪を切ることを勧めています。

髪を切ってもらうという具体的な行動が、親子の絆となる。
変な髪形にされたといった失敗談が、後になって親の愛を受けた証拠になるとのことです。
そういえば、私もバリカンを買ってきた父に、虎刈りにされたことがあります。それを見た弟は、自分の番になる前に、祖父母の家に泊まりに行ってしまいました。
結局、私は、その翌日に理容師さんに整えてもらいました。
今となっては、笑える話です。

親が髪を切る。子どものために一生懸命に切る。子は、その愛を受け止める。
次第に、子は親に切られるのを嫌がるようになる。
親離れ・子離れのステップだそうです。
そこで、初めて美容師の役割です。
そんな大人になろうとする子どもの話を聞き、時にはアニキのように、時には親のように、時には先生のように導いていきます。先生や親のタテ関係、友達の水平関係とは違う、ナナメの関係といった位置付けです。
私も、部活動のこと、受験のこと、大学生活のこと、研究にこと、仕事のこと、本当にいろんな話を聞いて頂き、励ましてもらいました。

最近は、美容室に子どもをおいて買い物に行ってしまうような忙しい親が多いそうです。
そういえば、私は祖父と一緒に床屋行っていました。隣で一緒に切ってもらうのです。
この前、祖父から床屋へ連れて行った思い出話を聞き、涙ぐんでしまいました。

髪を切るというのは、定期的なもので、少し時間もかかります。
だからこそ、コミュニケーンのチャンスであり、身だしなみやマナーを伝えるいい機会でもあるのです。

そんな話ができた大晦日の美容室でした。

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2009年11月25日

交友抄−異文化交流実践講座Cross-Cultural Distance Learning

3年前に教員を辞め、大学院へ進学しました。
アジアに日本の教育実践を伝える学校を作ろうと思い立ったからです。
留学も考えましたが、海外に伝える日本の教育実践について考えるため、日本で研究することにしました。

各地の小中学校に出かけ、現職教員たちと生活科、社会科、総合的学習などの授業実践を共同研究し、問題解決学習の授業研究論では第一人者である藤井千春先生のゼミで学んでいます。
中国やブラジルから留学されている先輩もいらっしゃって、本当に刺激的なゼミです。

海外に伝えるということを意識して、取った授業が、
異文化交流実践講座(Cross-Cultural Distance Learning)です。
厳しいご指導のおかげで、大変でしたが、実りある内容でした。
 (※「履修生からのメッセージ」を参照してください。)

そんな授業に最後まで修了したメンバーは、今となっては貴重な仲間です。
先日、久しぶりに再会しました。
みんな優秀で、頑張っていました。
各自、授業のプログラムで交流した台湾や韓国の学生との連絡も取り合っていることもあり、世界的的で、大きな話が飛び交います。

「ノーベル賞を取ったら、みんなでストックホルムに駆けつけよう」
「日経新聞の交友抄に、CCDLのメンバーの話を載せよう」
「海外の学校を、うちの商社でサポートできたら」
などなど・・・

そんな話をしても馬鹿にされず、
嘘っぽい話に聞こえないところが楽しいです。
お互いの活躍に刺激を受け、
日ごろの活動を一層頑張ろうという気持ちになりました。



※引用「受講者からのメッセージ」
https://www.w-as.jp/gogaku/ccdl/message.html


早稲田からワールドへ−CCDLコースを受講して

CCDLコースの内容をよく理解しないで受講してしまい、最初は戸惑うばかりでした。授業もクラスメイトとの私語も英語だったので。しかし、それでも1年間やってこられたのは、CCDLコースが単なる英語の講座ではなかったからだと思います。国際交流の体験やコミュニケーションのテクニックを学んだわけではありません。他者との関わりについて理論的に教わりました。何よりもコミュニケーションの根本である「人への関心」の重要性に気づかされました。

クラスメイトには、意欲的に生活を送っている人が多く集まっていました。学部や学年が異なる学生同士、お互い刺激を与え合うことができました。課題や発表準備のため、クラスメイトと頻繁に打ち合わせをしていました。気づけば、一緒にビジネスコンテストに出場したり、サークルを立ち上げたり、授業外でも話し合う機会が増えてきました。

そんな中で生まれたのが、授業中にインターネットを通して交流しているナムソウル大学(韓国)の学生に会いに行く企画です。せっかくなのでクラス全員に声をかけたところ(チラシを配りました)、5人で韓国に向かいました。授業中にインターネットを通して交流してきましたが、直接に会えたときは感無量でした。韓国の学生も同じように感じてくれたのか、できる限りのもてなしを受けました。韓国の学生の姿勢、人との出会い、行動を起こす楽しさなどを学べた充実した旅でした。その後もメールなどを通して、連絡をとりあっています。年末には、韓国の学生が来日し、私たちは東京を案内しました。

このように、授業で学んだことを、クラスメイトや交流のあるナムソウル大学や淡江大学の生徒と深め合うことができました。振り返れば、2007年度はCCDLコースの年だったといえます。そのことをクラスメイトに話すと、「こんなに頑張った授業は他になかったわ。週に1時限しかなかったのにね。すごい成長した気がする。」と返ってきました。(山下洋輔)


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2009年11月24日

山下洋輔、山下洋輔氏と会う。

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2009年11月22日のアートラインかしわの
「OUT OF PLACE〜何処にもない場所〜」は、
私にとって一生忘れられない感動の企画です。

私は31年間、ずっと山下洋輔という名前で生きてきました。
JAZZピアニスト山下洋輔氏のおかげで、
みなさまから名前を覚えて頂き、
その上かわいがってもらえたことも多々あります。
これも山下洋輔氏のご人徳によるものだと感謝しております。


その山下洋輔氏が、柏にいらっしゃったのです。
アートラインかしわのイベントに参加されました。
実行委員の方から宣伝のポスターを頂いた時から興奮していました。
演奏中、同じ空間にいるというだけで不思議な気分でした。

ついに、演奏終了後、ご挨拶させて頂く機会を得ました。
ムーラムーラで作って頂いた花束とお手紙をお渡しし、写真を撮って頂きました。
持参した昔のLPにサインまでして頂き、
感謝感激、言葉にできないほどです。

JOBANアートラインプロジェクト実行委員会の方々には、
雨で会場変更や準備で慌しい中、
私の個人的な願いを応援してくださり、
感謝しております。
みなさまのご協力がなければ、実現できなかったと思います。
本当にありがとうございました。

翌日、山下洋輔氏から山下洋輔宛にメールを頂きました。
お渡しした花の写真と温かい文章です。
嬉しさで走り出したい気持ちです。

アートラインかしわ2009のポスターを改めて読んでみました。
「アートラインかしわ2009は、見て・聞いて・つながることから、体感としてのアートを記憶するプロジェクトです。」
まさに、11月22日からの私にあてはまるフレーズです。

見て・聞いて・つながりました。
私なりに「体感としてアートを記憶」できたのではないかと思います。

http://www.kashiwaart.com/alk09/project/project_06.html

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2009年09月22日

館林25万石の夢


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上毛モスリン事務所1KIF_5332

今日、群馬県の館林を歩いた。

東武伊勢崎線で北千住から鈍行で1時間強。館林駅を降りると、分福茶釜のたぬきの石像に迎えられる。花山うどんで昼食。

竜の井、大道寺、青龍神社、旧二業見番、外池商店、鷹匠町の武家館、館林城址土橋門を歩く。

綱吉の時代に栄えた街並みを復元させようと試みられていた。

そして、資料館を見学し、上毛モスリン事務所、田山花袋旧居、旧秋元別邸、尾曳稲荷、城沼の遊歩道を経て榊原康政の墓所のある善導寺へ。

アピタというショッピングモールの繁盛を見ながら、道を引き返す。

竹生島神社を確認し、駅へ戻る。

 

徳川家康が関東に入った際に、東北へのにらみをきかせる要所として榊原康政が入城。

後に将軍となる綱吉も城主であった街。上毛モスリンの工場は、機産業で近代の日本を牽引し、館林を日本のマンチェスターと田口卯吉はたとえている。

現在は、都市計画が進められているが、駅前周辺は活気がない。保存された歴史文化遺産は、期待された役割を果たせていない。近世・近代の繁栄は、衰微の一途をたどっているように感じた。

街の始まりは、きつねの尾に曳かれて、この地に導かれたという伝説がある。

近世・近代の繁栄が、きつねにっだまされた夢と終わって欲しくはないものである。



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2009年09月12日

画家による教育原理

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柏在住の画家・薬本武則先生の個展を観させてもらいました。
(会場は、東京交通会館内のギャラリー)。

展覧会に出される大作ではなく、スケッチブックサイズの絵が展示されていました。クレヨンや水彩で、手軽に絵を描きたいという私のようなものにとっては、本当に勉強になりました。

薬本先生は、論文「クレヨン画への道」のなかで、クレヨンは小学生の画材とどめず、大人がクレヨンを使って絵を描くことを勧めています。

論文集「美術への道」では、幼児から高齢者までの美術教育の原理が説かれています。美術に関わらず、教育関係者や表現者には学ぶところ満載です。

薬本武則 略歴
●東京藝術大学卒、同大学院修了。
●文化庁特別派遣芸術家在外研修員(フランス)
●日展会友、K's工房主宰、共栄学園短期大学教授
●安井賞入選、安田火災美術財団奨励賞展、新作優秀賞 (1997)、水彩店OHARA大賞、多摩総合美術展、朝日新聞社賞 (1997)、水彩連盟展、文部大臣奨励賞 (1999)、第55回岡山県展、山陽新聞社大賞 (2004)ほか多数。

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2009年08月23日

鍵盤ハーモニカの魅力

小学校で習った鍵盤ハーモニカ。

「子供向け」楽器として、ちょっと低く見られてしまいがちです。

そんな楽器にスポットをあて、その奥深い魅力に気づかせてくれたのが鍵盤ハーモニカクラブ「はもけん」。

 

先日、「はもけん」の事務局、広報担当者、部員(Studio WUU代表)の方々とお話できました。

「はもけん」は、柏駅東口駅前にあるStudio WUU認定のクラブ活動です。

音楽歴、年齢も様々。

プロレベルの人もいれば、小学生以来楽器に触れたことのないメンバーの方もいます。

 

みなさん上達が早いのが驚きです。

入会数ヶ月で、かなりのレベルに到達されています。

シンプルな楽器、メンバー同士の切磋琢磨、発表のチャンスなど、

音楽的にすばらしい環境なんだと思います。

 

鍵盤ハーモニカで、サックスのようにかっこいい演奏ができそうです。

敷居が低く、ライバルも少ないので、世界に羽ばたけるチャンスもあるかもしれませんね。

 

クレヨン絵画もそうですが、小学校で学んだことは、大人の世界にも通用するものです。

世界に誇れる日本の教育でもある、と見直されるきかけにもなって欲しいと思ったりもしています。

 

http://www.youtube.com/watch?v=_cYYnBSQ_js

 

   



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2009年08月13日

荷作りとシベリヤの記憶

つい先刻、大阪の祖父の家で荷作りをした。
明日から、一緒に東京を観光する。

祖母は、最後まで服装を迷っていた。
そのことについて、何気なく樺太での経験を聞かせてくれた。

「ありったけの荷物を持っていこうとした人は、途中で落伍しよった。重い思いして運んでも、港に着いたらロシア兵に全部没収や。」

祖父は、「終戦時」、樺太にいた。
「終戦時」と括弧をつけたのは、樺太では8/15以降も戦争が続いていたと聞いたからだ。

樺太から船に乗せられた時は、みな本土に帰るものと思っている。
本土は空襲で焼け野原。だから持てるだけの物資を背負って行くようにロシア兵から教わったという。
そのときは何も知らないから、みんな目いっぱい荷作りをした。
結果は、捨てるか、死ぬか、とられるか。

ロシアも物資がなかったのだ。
港には軍刀が山ほど積まれていたそうだ。

「チャシ イエイシチ」
「時計をもっているか?」というロシア語らしい。
船を降りると、何人ものロシア兵にたずねられたという。
時計はかさばらずに、高価なもの。ロシアでは、珍しいものだったらしい。

約3年間、祖父はシベリアに抑留された。
シベリア抑留については、体験談を聞いたり、読んだりした。
それらと違って、祖父が語る体験は、前向きだ。

英語が少しだけわかったおかげで将校の会話を推測できたとか、
通訳してあげたら重宝がられたなどの体験から、勉強はしておいたほうがいいと私は育てられてきた。
熊にあったときの対処法やルバシカという防寒具を使った火のおこし方など、興味深く語ってくれたこともある。
冬に祖父の体調を気遣う私には、シベリアと比べたら余裕と答える。

今回の前向きな体験談は、「荷物は、持たない」というものだった。
道中、重くて大変だから。
いたって当たり前の理由だが、戦争の体験など長い人生に裏付けられたものなのだ。

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2009年07月19日

ル・コルビジェのスケッチから

ル・コルビジェのスケッチから

 

上野に所要を済ませ、少し時間があったので国立西洋美術館を見学しました。

開館50周年記念として、設計にあたったル・コルビジェと西洋美術館が企画されていました。

 

建築と言えば、精密な設計図面や模型。

でも、そこに至るまでには、ちゃんとプロセスがあるんですね。

いきなり、精緻な図面ができるのではなく、アイデアを簡単にチラシの裏にでも描いて、それが少しずつ具体的に、細かく、正確になっていく。

(さすがに、チラシの裏紙は展示されていませんし、コルビジェはチラシの裏に描かかなかったと思いますが。)

 

つまり、最初から完璧ではない、と実感したわけです。

 

この実感と前日に中学の同級生と話した内容がつながりました。

話した内容とは、「最後まで描き切って完成させる」大切さです。

 

下手で、途中で投げ出したくなっても、最後まで描くよう、

絵の先生から教えられました。

このことを友人に話すと、人生と共通すると言って、過去を振り返っていました。

 

最初は下手でも、まず描くこと。

そして、下手な絵でも、最後まで描き切ること。

 

下手な絵でも、実績になることでしょう。

そして、描き切るプロセスのなかで、身につけるものもあるはずです。

 

そんなことを考えた西洋美術館見学でした。



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2009年06月30日

小川洋子「博士の愛した数式」

数学の偉大さ、愛情あふれる登場人物の中では、
80分しかもたない記憶のことなど、些細なことに思えてしまいました。

中高生のときに読んでいたら、数学が好きになってた気がします。
私も博士のように、学問を伝えていければと励みになりました。
じっくりと待って考えさせる、手放しで誉める、
教え方の勉強にもなりました。

亀山、仲田、新庄、・・・
私が1番プロ野球に熱中した年。
一試合一試合、覚えていたので感情移入しやすかったです。

  
       



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2009年06月20日

柏町鳥瞰図

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千葉縣柏町鳥瞰図(昭和四年四月写生 松井天山)
http://www.a-shiina.co.jp/Choukan-zu/Map.html

椎名ビル&カルチャーホール ホームページより。

山下洋輔は、図中の「椎名呉服店」 「タンス店」に事務所をかまえております。



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