問題解決学習

2013年06月28日

経験による学び‐プロジェクト・メソッド

フューチャーセンターやまちなかカレッジの活動は、私にとって教育活動です。
プロジェクトを通した学びを提供していくよう設計しています。

プロジェクト・メソッドというのは、20世紀を代表する教育哲学者、ジョン・デューイの高弟のキルパトリックという人が、デューイの問題解決学習の方法を受け継いで体系化した学習メソッドです。

大学院で共に教育学を研究した苫野一徳氏のブログに詳しく紹介されています。
http://ittokutomano.blogspot.jp/2013/05/blog-post_9.html
ちなみに、苫野氏のブログは、教育学・哲学を学ぶ人にとって、素晴らしいナビゲーターです。
他の記事もチェックしてみてください。


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2008年04月13日

教育とは、子どもの物語作りをサポートすること

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「未来を担う子どもの力は、どう育むべき?」

私が、大学院にて指導を受けている藤井千春先生の文書を紹介します。
藤井先生は、子どもや教育現場をしっかりと観察しています。
その眼差しは、厳しさとともに温かさがあふれています。

早稲田大学 学生部 新鐘編集委員会編 
『新鐘74 早稲田に聞け! 「つくる」』より引用
http://www.waseda.jp/student/shinsho/html/74/7424.html

「教育」の現場が揺れている。
いじめや学級崩壊、そして
「ゆとり教育の失敗」による
基礎学力の低下。
さまざまな問題が取りざたされる中、
未来を担う子どもの力を育むために、
今、どんなことが
必要とされているのか。

 

課題に対してトータルな視点で考えよう

 「教育現場の崩壊」や「ゆとり教育の失敗」が叫ばれるようになって久しい。最近では、漢字が読めない、計算ができないなどの「基礎学力」が身についていない子どもが増えているともいわれる。

 こうした状況に対して、小学校での総合学習などについての著書もある藤井千春先生は、「例えば、学力が低下しているから授業時間を増やせといったような、対症療法的なやり方はあまり意味がありません」と指摘する。

 「教育というのは、ある課題について個別に対策を立てれば、狙いどおりにうまくいくというものではない。学力を伸ばそうとするなら、そのためにはいったいどんな学校生活が必要なのかを、全体から考えていく必要があるんです。今の議論にはそうした子どもの生活をトータルに把握する視点が欠けている気がしますね」

 例えば、いじめが横行しているような学級では、子どもは授業の中で自分の意見を言うことにも消極的になってしまうことが多い。逆に、友達同士で長所を認め合えるようないい関係を築けている子どもたちは、教科学習の中でも互いのいいところを見習い、学び合って成長していくことができるだろう。

 「学力や生活力など、子どもたちの能力の一つだけを伸ばすといった考え方はあり得ません。あくまでも個々の子どもの成長の全体像を見ながら、子どもたちの『価値ある自分になりたい』という意欲、そして自信を育てていく。そうでなければ、どんな取り組みも効果はないと思います」

 

子ども自身が主役となる「物語」を生み出す

そのためにまず重要なのは、「子どもたちが成功体験を積み重ねていく」ことだと藤井先生は強調する。

 子どもは、さまざまな課題を成し遂げ、乗り越えて、それを周囲に評価されることで成長してゆく。重要なのは、そうした体験をどれだけさせてやれるか。それも、ただの「成功」ではなく、自分のアイデアがみんなの役に立ったなど、「仲間に貢献できた」ことを仲間から認められるという体験が、子どもの成長に大きな役割を果たしてゆくのだという。

 例えば、授業の中で子どもが間違ったことを答えたとしても、教師はそれを間違いと切り捨てるのではなく、「みんなはどう思う? 一緒に考えてみよう」と、周りの子に投げかけてみればいい。答えを教科書の中から抜き出すのではなく、みんなで考えながら発見していく。そのプロセスに自分も参加し、役立つことができたという意識が、子どもたちの学ぶ意欲を育ててゆくのだ。

 「教師の仕事は、そうした体験を重ねさせる中で、子どもの『ストーリーづくり』を支えていくことです。子ども自身が主役となって、毎日の生活の中で、たくさんの人と出会い、助け合いながら、さまざまな課題を解決してよりよい自分へと成長していく、今日から明日へとつながる物語。それを子ども自身が実感できるよう、それぞれの力や興味に合った『ステップ』を設定する。そしてそれを乗り越えさせるために、ときには背中を押したり、ヒントを与えたりしてやるのが教師の役割なのです」

 家庭における教育でも、そうした本質は変わらない。幼いころから「やりとげる」楽しさを知り、評価されてきた子どもは、学校での勉強にも自ら楽しさを見つけ、取り組んでゆくことができる。あるアンケート結果によれば、「嫌いな教科でも自分で勉強する」と答えた子どもは、幼いころに家族と一緒に料理をしたり、誕生日を家で祝ったりという「手づくりの楽しみ」を数多く体験している割合が高かったという。子どもたちが、それぞれに自身の「物語」を紡ぎながら成長してゆくための「土台」づくり。それこそが、家庭での教育に求められているものなのかもしれない。

子ども自身の力をしっかりと「鍛える」教育

 しかし、藤井先生が主張するこうした考え方は、必ずしも現在の教育現場において主流になっているとはいえない。「子どもを甘やかすだけで、何もしないなんてもってのほか」といった批判を受けることもある。これに対して藤井先生は、「私が言っているのは、子どもを甘やかすということではない。むしろ、しっかりと鍛える教育だと思っています」と反論する。

 子どもの足腰をしっかりと鍛えて、ときにはここまで跳べという厳しいハードルを示しもする。教師は手助けはするけれど、歩くのはあくまで子ども自身だ。それだけに、もちろん教師の側の姿勢や能力も、より厳しく問われてくることになる。今までの学校現場でありがちだったような、「決められたことを決められたとおりに教える」というやり方ではなく、いかに子どもの興味や意欲を引き出してゆくかを自ら考え、一人ひとりの子どもの「物語」に辛抱強く伴走していく姿勢が求められるのだ。そこには、こうしたやり方を批判する人が言うような「理想主義」といった甘さは微塵もない。

 単なる放任ではなく、びしびしと厳しく教え込むといったやり方でもない、第三の「教育」の在り方。未来を担う子どもたちの力を豊かに育んでいくための、大きなヒントがここにあるのではないだろうか。




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