柏市議会議員選挙

2011年07月20日

アフリカで主体的な市民の育成を支援

以下、『BE−COM 4月号 vol.208』(2010.4.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より引用


アフリカで主体的な市民の育成を支援

 


【熱い視線が注がれるアフリカ】


 今年、サッカーワールドカップが、初めてアフリカ大陸で開催される。アフリカの国々が、次々に独立を果たした「アフリカの年(1960年)」から、ちょうど50年の節目の年だ。世界の陸地全体の約2割の面積を占めるアフリカ大陸。そこには、世界のダイヤの6割、プラチナの9割、コバルトの4割がアフリカに集中し、石油や天然ガスの埋蔵量も1割はあると推定される。まだ探鉱されていない未開の地も多い。今、熱い視線がアフリカに注がれている。


 


【アフリカ独自の知恵】


 アフリカは、古くから交易を行い、商業が盛んな地域であった。地中海、大西洋、インド洋、ニジェール川などの大河、サハラ砂漠を経由し、イスラム圏や中華圏との世界的なネットワークを形成していた。中国の磁器、貨幣、絹織物、インドのガラス玉などがアフリカの都市から出土し、その交易範囲の広さを証明した。マリ国王がメッカに巡礼した際、あまりにも豪華な行列であったため、沿道のイスラム諸国は驚いたという記録も残っている。


私とアフリカとの出会いは、ブラジルのカポエィラがきっかけであった。カポエィラとは、武道であり、伝統芸能であり、西アフリカにルーツを持つ。音楽、歴史、祖先や自然への敬意など、アフリカの叡智がつまっている。ニューヨークで、ブラジル人から、西アフリカの話を聞く。そんな世界の広がりを体感した。アフリカの独特のリズム、色彩、彫刻、デザインは、20世紀のアートに大きな影響を与えた。


 


【住民参加の学校運営】


 アフリカ全体の人口は、約9億人。世界の約七分の一だ。今、都市部を中心に急激な勢いで人口が増えている。飢饉、紛争、貧困、病気などにより、学校へ行けない子どもが多いのが現状である。地下資源のみならず、教育による人材開発が、今後の課題である。


このようなアフリカに対し、世界は援助を行ってきた。この援助のあり方が、今、転機を迎えている。援助は物資ばかりではない。大切なのは、社会づくりである。そのためには、社会の自治性を高める必要があるといったJICA(独立行政法人国際協力機構)理事長・緒方貞子氏のお話が印象的であった。


例えば、給水塔を建てれば、それを管理する組合を作る。つまり、地域の人々たちが意識を持ち、自分たちの力で何かやろうという気持ちになってもらう。そのために、地域に必要なことを、地域の人たちが考えて、実行していく仕組みを作る。支援する側の考えではなく、そこに住む人の側に立った支援を模索している。このように考えると、日本のコミュニティ自治にも共通したテーマとなる。


 そんな中、私が注目しているのは、JICAの「みんなの学校プロジェクト」である。これは、住民が学校運営に参加することで教育への意識を高めていこうというものである。世界銀行をはじめ各国の支援により学校建設は進められ、ハード面は充実してきた。しかし、教員の質や親の意識は低いままの地域が多い。学習内容も地域のニーズにあっていなければ、仕事を休んで学校に通う意味も見出せない。そこで、教育のソフト面の充実と親の意識改革が求められていた。また、海外からの支援が撤退しても、地域で自立的に学校を管理・運営できることも必要である。このような背景から、「みんなの学校プロジェクト」は、ニジェール政府の政策と連動してスタートした。マリやブルキナファソといった周辺の国々でも、みんなの学校の実践が広まっている。


 


【地域からの国際交流】


 学校に行けない子どもの問題は、少数民族や途上国の女子などをイメージするが、「自らの潜在能力を伸ばし、夢を実現し、教育を通じてよりよい将来を築く機会を奪われている」という観点で考えると、日本の不登校児童・生徒も該当する。環境の違う、遠い国の事例のほうが、問題の本質が見えやすい時もある。アフリカで、住民参加の学校運営により、女子の就学率向上を成し遂げた事例は、日本の学校にも参考になる。


 私たちが行っている柏まちなかカレッジは、まちの人が先生・まちがキャンパス・市民参加型の学校運営である。「みんなの学校プロジェクト」と相通じる所が多い。そこで、JICAの勉強会で、柏まちなかカレッジの事例を報告する機会を得た。


もともと、私は、日本の教育を世界に発信するために、大学院に進学した。授業記録や授業記録、教員同士の学び合い。そういった綿々と伝わる日本の教育実践を世界に紹介し、普及させたいという思いがある。一市民に過ぎない私でも、遠く離れたアフリカの教育に、曲がりなりにも貢献することができた。これからの時代、グローバル化が進み、自分の考えや思いが世界に広がるチャンスは増えてくるだろう。よりよい社会を目指そうという連帯が、身近なところから始まっていることを実感している。


 


(柏まちなかカレッジ学長 山下 洋輔)



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2011年07月17日

再チャレンジを支える地域の力

以下、『BE−COM 4月号 vol.222』 (2011.4.1 BE・COMときわ通信発行)に掲載より引用

再チャレンジを支える地域の力


【近代社会事業の父・原胤昭】


柏市手賀に、原氏の墓所がある。道路脇に小さな案内はあるが、名所として知られているわけではない。原氏は、下総国相馬郡手賀の領主であった千葉一族である。この原氏では、元和九(一六二三)年に火刑にあった殉教したキリシタン原主水(胤信)が知られている。


手賀地域は、手賀沼や新利根川の交通の要衝として栄えた。明治時代には、この地にニコライ大司教によるハリスト正教の手賀教会堂が建てられた(わらぶき屋根の和風の建築で、旧手賀教会堂として現存する)。信者は、三百人を超えたという。明治期、キリスト教は、都市部で広がったと言われる。この地は、時代の最先端であったのだ。


さて、お墓の話に戻る。この原氏の墓所に、小さな墓石が並んでいる。これらは、原胤昭が、前科のある人たちを更生保護し、埋葬したものである。先祖代々の墓所に、前科のある人たちを埋葬するというのは、時代状況や由緒ある家柄ということを考えると、周囲からの反対を押し切っての一大決断だったと想像できる。


原胤昭は、江戸南町奉行の最後の与力であり、熱心なキリスト教信者だ。原女学校というキリスト教学校も建てている。自由民権運動時の出版で、自分自身も投獄され、監獄でひどい仕打ちを受ける。その経験から、監獄の改良を主張し、教誨師としての活動を始めた。また、原は、前科のある人たちは社会的な偏見や差別を受けるため、再犯が多いと考え、更生保護施設を東京・神田の自宅に設ける。さらに、低所得者向けの住宅も東京・田端に建てた。原胤昭は、そのキリスト教精神や最後の与力の記録として注目を集めてきた。今日、社会起業家として、ますます注目を集めるであろう人物である。


前科ある人たちを同じ敷地に埋葬した原氏の墓所は、原胤昭の精神を表現した貴重な柏の史跡である。



【ある保護司の活動】


現在の更生保護について紹介したい。犯罪や非行をした人が、地域の中で生活しながら、国家公務員の保護監察官や地域のボランティアである保護司の支援をうけながら、立ち直りをはかろうという保護観察の制度がある。


あるきっかけから、約二十年この保護司を続けているTさんからお声をかけて頂き、私も関わらせてもらうようになった。保護司のTさんは、保護観察の後も、生涯にわたって更生を支援したいという思いから、就職や生活の相談を続けてこられた。そのTさんは、昨年、病気を患われたことをきっかけに、個人の力だけではなく、多くの方々の協力を得ながら活動していかなければと思うようになり、更生を支援する会を立ち上げることになった。Tさん、Tさんに保護観察を受けた教え子、協力的な雇用主、Tさんの考えに賛同する方たちが集まりまった。


重いテーマだ。Tさんへの信頼と状況をわかる人たちが集まるので、核心に迫る質問が投げかけられる。就職の相談もあり、現実的な話し合いが行われる。教育、政治・経済、地域社会、家庭問題さまざまな社会問題が凝縮している。ここに参加するたび、裸の自分が試されているような気持ちになる。

【再チャレンジを支援】


更生保護の会は、私の教育の原点に帰らせる貴重な場でもある。学生の時、金沢泰裕『イレズミ牧師とツッパリ少年達』を読んだ。元ヤクザだった作者が改心し、小さな教会で、暴走行為や薬物汚染の迷える少年たちと格闘し、交流する記録だ。正直なところ、一度、失敗を犯してしまうと、再チャレンジが難しいという現実がある。だからこそ、再チャレンジのための支援が必要になるのだ、と強く感じたのを覚えている。


高校で教員をしていた時、PTAや商店の方々、卒業生など地域の方々に支えられて、教育にあたってきた。不況からデパートや大型店が撤退し、まちから活気がなくなり、治安も悪くなった。家庭環境も悪くなる。まちへ出ると、良くない誘惑や人生を諦めさせるような発言を大人が行っている。人とのつながりも弱くなり、地域で人を育てきれなくなっているのを感じた。学校教育だけでは解決できない、何とかせねばと思い立ったのである。


大学院での研究や学校外での教育活動を通じて、地域での教育力の重要性を実感した。学校で活躍できなくても、お手伝いをして近所のおばさんに誉められる。夜遅くに歩いていたら、心配される。失敗しても、長い人生経験から励ましてもらえる。そんな地域になって欲しい。


社会や時代のせいばかりにせずに、身近なところから良くしていくような協力をしていきたい。そんな思いを持って、日々活動している。


 


(柏まちなかカレッジ学長 山下 洋輔)




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2011年07月13日

自分たちのまちは、自分たちで良くしていこう!

ご近所にあるコンセプトセレクトショップiii3。
店の前に机と椅子を置き、オープンカフェのように人が集まっています。

そのiii3で、ゲリラ的に花を植える集団・バリカンズの映像を教えてもらいました。
「自分たちも、柏で行動していきたいね」そんな話で盛り上がりました。

自分たちのまちは、自分たちで良くしていこう。そんな小さな行動の輪が、まちに広まっていくのは素敵だと思います。この柏でも、色んな動きを起こしていきたいです。
http://www.youtube.com/watch?v​=OviBqVQ2kKU&feature=youtube_g​data_player


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2011年07月03日

トークライブ@柏駅東口ダブルデッキ



毎朝、毎夕、柏駅東口ダブルデッキにて、駅頭活動を行っています。
昨夜(7/1)は雨のため、柏駅に立つのが遅れてしまいました。
時間が短くなったので、
急きょ、トークライブを開催することにしました。

周囲のストリートミュージシャンを見て、マイクは使わず、自分の声で伝えようと思いました。
マイクなし。組織なしの一人。お金もなし。
も、肉声と柏を良くしたいという気持ちと、仲間が作ってくれたビラに、思いを込めて語りました。


自分の思いを語っていたら、私の憧れていた先生に出会いました。
お会
いしたことはありませんでしたが、駅伝の監督として、多くの学校を強くしてきた話を聞いていた先生です。

私自身、ハンドボールや軟式野球の監督を経験しました。
専門でない競技を指導するため、監督としての研究に励んでいました。
お陰で、軟式野球では、関東大会出場を果たしました。

憧れの先生から応援のお言葉を頂き、勇気付けられた夜でした。


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2011年06月30日

選挙啓発ポスターにレイソルの茨田選手、「僕は選挙に行きます。」

2011年8月7日(日)投票の柏市議会議員選挙の投票率向上をはかった啓発ポスターが作られました。

20歳代の投票率が他の年代に比べ,低いことから若い世代にも関心を持ってもらえるように、今年5月30日に新成人となった茨田陽生選手とマスコットキャラクターのレイくんが起用されました。
http://blog.reysol.co.jp/news/2011/012271.html

しっかり投票している世代の意見は、政治に反映されやすいものです。
若い世代が投票することで、政治にも若い意見が取り上げられていくことになります。
面倒だったり、迷惑だったりするかもしれません。
しかし、自分の投票した1票が、社会を変える力を持つのは確かです。

一方で、投票率が低いのは、政治の責任でもあります。
政治には、うんざりな現状です。
未来に希望の持てるビジョンが求められています。
そして、口だけではなく、正直に、実行していくことが、政治への信頼の回復につながるはずです。

政治への不満を述べているばかりの自分に満足できません。
社会のために、少しでも自分のできることをやっていかなければ気がすみません。
あきらめず、小さな力でも、社会を良くしていく可能性があると信じて、行動します。

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